今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

朝から、思索する中で思ったことの一つに、文系・理系という色分けと言いますか分け方について個人的な考え方をのべてみたいと思います。

私は、教育学部などに籍を置いたこともなくいささか一人勝手な見解であることを最初にお断り申し上げますが、荒唐無稽な発想であればこそ、そこに多少なりとも傾聴すべきことと思っていただければ幸いです。

 

さて、大学などの受験で文系の大学とか理系に大学等という言い方をします。

僕は語学は得意だけど、数学は苦手なので、文系だ・・・とか、僕はむしろ現在国語が苦手なので理系だ・・・みたいなところはないでしょうか。

小さい頃から英語を学ばせて国際人としての教養を身につけさせるのだという人もいますが、もっと本質的に大切なものがあるように思えてなりません。

もっと、言えば、文系・理系という完全にラベル分けすることに大きな疑問を感じているのです。

確かに理系と言えば、数字をこねくり回すというと語弊がありますが、複雑な数式などを駆使して、答えを導いていくというイメージがあります、確かに量子力学や機関工学的な分野ではそうした数式が理解できないとと言う部分もあります、その反面自然科学と呼ばれる分野も理系と言えます、そして物理学は数式も使いますが、数式だけ頼らない観察を主とする分野も有ります。明治期の著名な物理学者であり、文筆家でもあった寺田寅彦と呼ばれる人がいます。

理化学研究所で様々な研究を重ねていたわけですが、この方や、その弟子でもある中谷宇吉郎(雪の結晶の研究が有名)等、文系・理系の枠を越えた人もいます。

そして、こう考えるときその理系・文系ではなくその共通した重要な基盤となるものが有るように思えます。

それが、個人的には

「論理」
ではないかと考えるわけです。
「論」という漢字は、筋道を立てて物事を話すという意味があるそうで、それに対しての「理」は整える、収まるという意味があるそうで、「筋道を立てて話す言葉が何ら矛盾無く収まる」と言うことで「論理」と言う言葉が生まれたわけです。
そう考えれば、常に論理的に物事を考えることができる優れた法律家は論理的思考を駆使して、優れた数学者にもなり得ると思うし、その逆も然りでしょう。
見た目は全く違っても、どちらにも論理的なわけです。
数学者が飛躍しているとするならば、例えばプログラマーやSEでも良いかもしれません。
優れた法律家は、論理的思考を駆使して、優れたシステムエンジニアになることも可能だし、その逆に優れたシステムエンジニアは、文筆の世界もしくは法曹の世界にあっても比較的容易にその地位を獲得できるように思えます。
むしろこれからはそうした相互乗入れが重要になってくるように思えます。
法律とプログラミング等は一見すると大きくかけ離れているように感じますが、法令はあらゆる場合を想定してもその時点で矛盾が生じていないこと、すなわち論理的に問題ないことが求められる最たる分野でしょう。
私は残念ながら法学というのは、警察・そして郵政時代に1年ずつ、学んだだけで後は殆ど独学ですので、いい加減な発言しかできませんが、法の根底にあるものは論理であると考えるとき、プログラムも同様で、常に論理が働いて矛盾が生じていないことが重要な要素となっていることに気づかされます。
最初と最後で矛盾したプログラムになっていると、途中で止まったり、場合によっては無限ループに入って終わらないなって事もあるわけですから、論理的思考を手に入れるという意味では非常に興味深い分野でもあります。
そうした意味では、今こそ小学生に学ばせることは論理的思考の構築に他ならないと思うわけです。
 
皆様はこの意見、どのように感じられるでしょうか?