当時の様子を思い出しながら書いているのですが、いかんせん30年ほど前の記憶であり、正直思い出したくないこともあり意図的に記憶にロックをかけている部分もあり、時には記憶の混濁というか改変が行われている部分もありますが、出来るだけ時系列で思い出しながら書いてみたいと思います。

 

貯金や保険の業務では、馴れ合いを防ぐために一年ごとに配置が換わります。

そして、翌年は新しい集金区と言うことで、変わるわけで4年ほど堺郵便局でお世話になるのですが、三年目の集金区で私を奈落の底に転落させる事件が起こるのですが、それはもう少し先の話にしたいと思います。

今池町・田出井町という地域は比較的住居が固まっており、富裕層が住んでいる、三国ヶ丘区域のようには行きませんが、それなりに言わば史上春といった感じでした。
もちろん、地元密着で長年そこの郵便局で働いている人にすれば馴染みも多い訳でしょうが。私の場合は新参者

更に地縁も何も無いわけですから、一から人間関係を構築してと言うことになるわけです。

その当時行っていたのは、研修で学んだこと、更には自分で収集した統計データを活用することでした。

統計データを話の合間に挟みながら、ライフプランを提示していたように思えます。
家族構成を聞き出し、今何歳であればあと何年後に進学・結婚などのライフイベントがありますよね。
そのために今から準備しませんか・・・的な話が多かったですね。

元々、簡易保険は養老保険(生死混合保険と呼ばれるもので、満期時と死亡時の保険金額が同じであり、かんぽの場合は貯蓄商品として扱われることが多かった)が中心であり、かんぽ利用者にはそういう人が多く、それ以外の保険はあまり販売していなかったのでした。実際に、私が堺郵便局に入る直前頃までは、募集手当が一ヶ月の保険料なんて時代もあったようで、例えば1万円の保険料の10年満期の保険を勧誘すれば、1万円の手当、20日稼働で1日1万円ずつ保険を獲得できれば手当だけで20万円、基本給が20万円としても合計で40万円実際の手取りは税金とか引かれるので低くなりますが、それでも他の郵便や集配の職員からすれば高給取りになるわけで、郵政局時代に業務監査と言うことで普通郵便局などの監査業務を行いましたが、そのときに保険課の職員だけが突出して収入が多かったことを改めて思い出しています。

当時の局長(55歳前後で)700万から800万円程度で有るのに対し、保険課の職員は平均して500万ほど、人によっては1000万を超えているのもちらほら・・・そりゃ、ロレックスの時計を成金趣味よろしく巻いて、クラウンやセドリックなどの高級車(現在ではレクサスのLSかな)を何年か毎に乗り換えるような生活できるわけです。

ちなみに、当時私が乗っていたのは、結婚を機に買い換えた白い軽自動車でした。

 

私が堺郵便局に来た頃には、養老保険は手当が三割程度まで下がっていたように記憶していますが、それでも毎月保険契約で毎月100万円以上をコンスタントに上げている募集者もいました。

私なんか毎日コツコツしてもせいぜい15万から20万と行ったところでしょうか。

さて、ここで高額の保険料をアップでいていたのか、そのからくりとをお話しさせていただこうと思います。

 

理由は簡単で、当時の簡易保険の高額優績者は10年養老保険の全期前納をさせていたのです。

保険業界の方ならご存じなのでこの話は釈迦に説法ですが、

かんぽの全期前納は、10年満期の養老保険を10年分のお金をまとめて預けて貰うというもので、全納割引を使うと800万ほどを入金すれば満期時に1000万円返ってきて、更に配当金が付くからといった話をして募集していたのです。
まぁここまでは、多少グレーといえども問題は無いのですが、問題はその先。

配当金も付けばほぼ倍額(800万入れれば、1400万から1500万ほど返ってくる)もちろん配当は予定なので確定では無いので、こうした発言は完全にコンプラ違反です。特に当時はバブル崩壊後の銀行や民間生保の破綻が相次ぎ、国営の安心さという看板を下げて積極的に銀行預金やタンス預金を引き出させて、せっせと加入させていたのです。

しかし、個人として加入できるのは一人1000万円まで、それも年齢が上がれば当然のことながら保険料が高くなるので、どうするか・・・以下のような手法が出てくるわけです。

  • 子供・孫などの名義で親又は祖父母が契約する。当然被保険者は子供や孫なのですが、当然被保険者は無面接
  • それでも、枠を使い切るとどうするか・・・親戚の名前を借りて、親戚の子供・孫などの名義で保険に入る。当然これも面接・無同意
  • 更にそうしたことが不可の場合はどうするか、濁点、半濁点等を使う、又は誕生日・誕生月などを偽装する。(同姓同名で誕生月が異なるとか、佐藤(さとう)さんを(ざとう)さんと言った濁点を使ったりしてみる。
    羽咋(はくい)さんだったら、バクイ、パクイと言った具合で、濁点・半濁点を使って三名分の名義を発生させるなんてことも行われていました。
    作業自体が手作業だったのでできたのでしょう。
    貯金などでもそれこそペットの名前で口座を作るなんて事も日常茶飯事でした。
  • 更に当時の大蔵省は、集金マシンである郵貯や簡保にはあまり税務調査云々を言わなかったこともあり、郵便局は国営なので満期時の税金はかかりませんと、これまた嘘の説明をするなどいくらでも当時の酷い話はあるのですが、このくらいにしておきましょう。

また、機会があればお話をさせていただきます。