引き続き、私という取扱説明書として郵政局時代のお話をさせていただきます。

何分三十年程前の話なので記憶違いや、美化された部分、その逆の部分もありますが、出来るだけ記憶を辿りながら書いてみたいと思います。

次席候補として己でも有頂天になっていた私は小さなミスでそのチャンスを失い、更にその年から経理部と資材部が統合され、財務部となりました。代わりに秘書課と総務課が総務部に昇格したのではないかと記憶していま巣が、その辺はちょっと曖昧です。

ただ、この統合により経理部の四十歳前後の次席・次席候補が旧資材部の次席ポストを埋めてしまい、私は旧経理部に配属されることとなりました。

配属先は、会計課決算係というところで、経理の「け」の字も知らないものがいきなり月次決算をということで正直面食らったものです。

資材部の野武士然とした空気と比べると、いかにも理路整然としたそのくせ、そこから一mmでも外れることを許さない、そんな空気は自分的には合っていないと思ったものでした。

そんな折、統計訓練という本省総務庁統計センター主催の研修があり、翌年には次席にと言う淡い期待もあって、その訓練に参加したのでした。

約3ヶ月ほどの研修ですが、総理府の統計センター内にある統計研修所で統計基礎を学ぶと言うことで無理からに参加したのですが・・・、個人的には失敗もありますが、得るものも大きかった反面、郵政局での業務にはあまりプラスにならなかったかもしれません。

 

どちらかと言えば物見遊山的になったことも事実であり、土日は鎌倉に行ったり、横浜に行ったりと遊び呆けていました。苦笑

何れにしても、初めての長期の出張であり、まして管外出張と言うことですので。

途中で家に帰ったのは1回だけでした。

夕方18時頃の新幹線で東京を発ち。新大阪には20:30過ぎ、その後特急に乗り継いで海南市で降りてそこからタクシーで帰った訳ですが、22:00過ぎ、海南駅の周りは人も歩いておらず深夜のような雰囲気、東京の三軒茶屋に総務庁の寮があったのですが、そこでは24時間営業のスーパーが目の前にあり、深夜2時でも人通りが絶えない場所であっただけに、同じ日本なのか?と大げさではなく思ったものでした。

 

さて、それはさておき、統計研修ではいきなり、積分の話などが出てきたりで、正直10年以上ぶりにみる積分記号(インテグラル)にちょっと驚きを感じながら。

悪戦苦闘しながら取り組んだような気がします。

他にも、最小二乗法や多変量解析など・・・聞くことが全て新しい言葉ばかりで統計を専門にしている人からすれば基礎的な話なのでしょうが、初めて聞く私には未知の世界でした。

しかし、そこでの統計基礎を学んだことは、今になって改めて統計を学び直したいと言う意欲に繋がっているのも事実でしょう。

特に多変量解析については自分なりに理解することが非常に苦労したこともあり、自分なりの解釈として、多変量というのは言わば複数の次元が違うレイヤーから見た場合の見え方なのだと無理矢理理解させたなんてこともありました。

もっとも、多変量の考え方というのはそうした時間軸を多次元に取ることで同じ三次元空間がどのように見えるかを考えていくわけで、そうした意味では当たらずとも遠からずと言えるのではないでしょうか。