昨日は、大失敗した話で次席の話が飛んでしまったことなどをお話をしましたが、正直この時の人事異動は個人的には屈辱でしたが、その直前にもう一つだけ、名誉挽回と言うわけでは無いですが、取り組んだ施策が二つありました。

一つが、資材部独自のP-satの番組を作るというものであり、もう一つは郵便局で使用する硬貨袋の仕様策定でした。

 

P-SAT自体は、以前に天神祭で経験済みなのですが、今回は委託出来るのは編集の部分だけで、それ以外の絵コンテ・脚本・監督・カメラは我々がしなくてはならず、調子こいて一人で手がけたものでした。

ただ、この頃の記憶の前後がどうしても曖昧なので,P-satはもう少し早い時期だったかもしれません。

何れにしても、ルーチンワークをしながらこうした施策についても積極的に関わり、布施郵便局で実際にバイクを借りて運転して貰ったり。(昼間の昼食時に局長に見せたら、不良職員を演じて貰った郵政局職員の動画を見て、誰だこれは・・・処分してやると怒ってしまって。郵政局の職員にお願いしてしているものですの・・・と納得して貰ったのですが。迫真の演技だったのでしょう。

それ以外にも、今から考えれば恥ずかしいばかりの演出でしたが、少なくともこうした機会を得られたことは少なくとも自分には大きな自信となったものです。

 

そして、、もう一つは郵便局の硬貨袋の仕様を変更したことでした。

現在どのような硬貨袋を使用しているのか知りませんが、以前は以下の図のように黄色の袋の上の方に紐が付いており、これで閉じるだけの簡単なもので、経年使用で紐が切れたり、硬貨の中身が見えないので、付箋をつけているのですが、正直効率は良くない訳です。

そこで、たまたま他郵政の物品改良という紹介記事を見ていたところ、四国郵政局でメッシュの完全透明な硬貨袋を調達したとあり、それなら近畿でもやってみようと思ったわけです。

郵政局という所は有り難い部署で、自分で何か施策を考えたらそれを実行出来る環境にあるわけですから、早速係長に相談して試作に取りかかることにしました。これも、多分前回の失敗の前から取り組んでいたものだったと思います。

ちなみに、硬貨袋というのは現金保管及び運搬輸送用の袋で、二類物品(郵政局で調達出来る品物)でした。

実際には、計画段階から試作品の作成する前に、係長からは、既に郵政弘済会で金種別の袋があるので新たに作る必要はないではないかといった意見も合ったのですが、結果的には試作が許可されたのですが、こうしたことで着手までに意外と時間がかかったのです。

最初、考えたのは現在の硬貨袋の一部を透明なシートで窓を開けるというものだったのです。

係長からは巾着型にして、事務での操作性を上げるようにとの指示があり、それで試作して貰うことになったのですが、業者からの提案で、透明シートでは劣化で割れたりすることもあるとして、その窓の部分をメッシュにしてはどうかという提案がありました。

以下が、そのときの旧硬貨袋と、新しく試作した硬貨袋です。

 

そうして何度かの試作を重ねる中で、仕様が固まっていきました。

従来の仕様と比べると容積は変わらないものの巾着型にしたことにより高さが少し大きくなったのです。

真下係長が課長として勤務する深草の貯金課に行って使用感を確認してもらいに行ったのですが、正式な出張としてではなく、時間休を取って行ったという無茶なことをしてしまいました。

決して褒められることではないのですが、あのときはそうした独断専行とも言える悪い癖が出たのではないかと思います。

 

そして、褒められないことをしたとは言え、最終的に仕様書も固まり、いざ起案となった時点でタイムオーバー・・・

 

私自身が、その年に資材部と経理部が一元化して、財務部となり。

旧経理部の40前後の担当者が一斉に資材部の次席ポストを埋めてしまい、私は旧経理部に回されることになったわけです。

この人事には正直戸惑いました。

少なくとも3月のミスが生きている人事であろうとは朧気に感じたものの、夢が破れた?そんな風に思ったのでした。

結局翌年にも次席にはなれないまま、降格に追いやられるのですが、それはいずれお話しさせていただきます。

 

さて、ここで時間切れになった硬貨袋ですが、結局次の異動で貯金担当となった人に引き継ぐこととなり、彼女が起案者として仕様を完成させたはずです。

ということで、今回は資材部での最後の仕事までの出来事をお話しさせていただきました。