本日も、郵政局時代のお話をさせていただこうと思います。

有頂天というのは、自らが危ない橋を渡っていても気づかないものです。

正直、この頃の私は完全に舞い上がっていたと言えましょう。

そして最後に大どんでん返しで、郵政局を最後は追われるように追い出されるのですが、それはもう少し先の話。

人の不幸は蜜の味などとも言いますが、成功譚も失敗譚も包み隠さず書きますので、もうしばらく私の有頂天話にお付き合いくださいませ。

 

前回に品名コード表を局報号外という形で発行したのですが、改めて本格的な品名コード表を作成したいと思いお願いしたのですが。

なんとか許可が降りて、自分なりに作ってみたかったものを作れることになりました。

ここで特に意識したのは、日付印など請求番号だけではわかりにくいこうしたものに関しては、陰影もしくはイラストを入れるようにしたことでした。これは

  • 郵便局の職員が使いやすいこと
これだけを念頭において編集したのです。
他にも、自局調整用紙として特に郵政局から交付しない式紙のうち、よく使うものはA帳票ということで郵政互助会が印刷して販売しているのですが、そうでない場合は郵便局同士で融通し合うなんてことをしているので、雛形をこちらで準備し、必要に応じてコピーしてもらうことにしました。
このコピー対応に関しては、ミシン目を入れて切り離せるようにしたかったのですが、予算の関係でそれは叶わず、また差し替え式をと思ったのですがこれも叶わず、普通の冊子となりました。
係長からは何度も何度も督促を受けましたが少しでもより完璧なものを作りたいと何度も何度も検討して重複のチェックなどを行いやっと完成させたものでした。
黄色のA4?だったかの本で、結構な厚みがありました。
正直コレも自分の中では有頂天になる要素だったでしょうね。
 
数年後、郵便局に降格されたとき、総務課で品名コード表を見つけて、懐かしいなぁというと、コレむちゃくちゃ役に立っているんですよと言われて、思わず、コレは自分が担当のときに作ったものなんですよと・・・アホみたいにカミングアウトしてしまったのですが。
自分的には、こうした仕事をしたんだという承認欲求の現れだったんでしょうね。
今改めて考えれば恥ずかしいことをしたと反省しきりですが、36歳頃の若造ではそこまで思慮深く考えることはできなかったのでしょうね。
 
こうして、作成した品名コード表は配布した時点ではどれほど活用してもらえるか否かは未知数でしたが、自身が郵便局に降りた際に総務課で役に立っていると言われた言葉で救われた気持ちになっのも事実でした。
たとえ、名声は残らなくとも行った事実が残ればそれで良いのではないかと思うわけです。
誰も認めてくれる人がいなくても、こうしたことを行って多少なりとも自分なりに貢献したということは、誇れば良いわけです。
見ていないようで、人は見ているのかもしれませんから。
私自身が郵政局時代に行ったことなど30年も前の昔話ですが、それは私の中では失敗も成功も含めて人生の年輪なのです。
それを小出しにしながら紹介させていただき、多少なりとも誰かの役に立てれば良いかなぁと思っているのです。
他人の人生をそのままトレースすることはできませんが、自分の人生と重ね合わせたとき、コレは自分の今の境遇に似ているなぁとか、今の自分はこの失敗する直前じゃないかと言った、気付きであったり警告であったならば。私もこうして書いた値打ちがあるというものです。