本日もしばしお付き合いの程よろしくお願い致します。

郵政局への転用試験は、昨日お話ししたとおり、過去問もなければ採用人数も何も示されず、合格したか否かだけが管理者を通じて伝えられるだけでしたので、正直発表があるまで不安で仕方有りませんでした。

二次試験として面接があったのか否かは覚えていないのですが、総務課長が圧迫面接のようなことをしてくれたのが記憶の断片として残っています。この総務課長その後、大阪事務センター所長で再会するのですが、それはもう少し先の話ですが。

個人的には苦手な上司でした。

 

さて、転用試験は合格したものの4月になっても異動の辞令は発令されず、ちょっと焦りました。

結局7月の幹部クラスが退職する栽の異動で一緒に発令されることとなり、昭和63年7月15日頃だったかな?の異動で郵政局に転用することとなりました。

郵政局は家に帰れないとか連日飲み会があって大変とか・・・色々とあまり良い話を吹き込まれないまま郵政局に出勤したわけですが、辞令では禁忌郵政局貯金部業務課勤務を命ずると言うことでした。

本来なら、貯金部調査課と言う部署で半年なり1年訓練してから適性を見極めて各部署に振り分けられるのですが、私が転用する数年前から、貯金部に移管することが決まっており、調査課には新卒採用の職員を入れることとなっていたようです。

ただし、4月に転用したグループは調査課で勤務しており、成績が芳しくなかったのか何故か判りませんが、7月転用組であった私たちは直接業務部門に採用されたわけで、図らずもⅡ種採用と同じスタンスでスタートすることになったのです。

そして、ここで配属されたのは「貯金部業務課オンライン企画係」と呼ばれる長ったらしい名前の係で、係長以下六名の体制でした。

当然のことながら私は末席なのですが、私より一つ席次の高いひとは私と同年代なのですが、スネ夫のような人で、上司や先輩には媚を売る反面、私にはきつくあたる。そんな人でした。

元々秘書課にいたそうなのですが、1年ほどで貯金部にやってきたとか。

 

まぁ、それでも初めての郵政局勤務、正直初日は緊張の連続です。

電話もあるのですが、今では珍しいであろう黒電話。

よくよく聞いていると、鳴り方が違う。

一般電話の「リーン」となる場合は外線、「ちりん・ちりん」となる場合は内線ではなくて「行政電話」と呼ばれる本省との直接話せる電話でした。(現在は廃止になっているみたいです)
いきなり郵便局からやってきたものからすれば、それまで雲の存在のようだった郵政本省の担当者と直接話をするというのもなんとも不思議な感覚に陥ったものでした。
そんなこんなで、あたふたとしながら、末席といえども一つの机を与えられていたのですが、いかんせん何をして良いか判らない。というか、仕事を誰も教えてくれないわけです。

 

自分で仕事を見つけて行かないと誰も教えてくれないわけです、そこで色々とみていると、ここの係は端末機を入れ替えるための企画部署であり、現在は端末機の公開のための研修を行っていることが判るのですが、そのとき行っていたのは手書きの出席者参加名簿でした。

更に探してみますと、N5200と呼ばれるパソコンで、名簿用に罫線が入ったフォーマットが見つかり、ここに手書きのデータを入力してやれと言うことで、これから実施する文を入力していったように記憶しています。

実は、中等部で少しだけ入力とかを習っていたのがここで役に立つわけでした。

最初は、暇なので時間つぶしにしているんだろうとあまり気にもとめられなかったのですが、手書きだと出席者の変更等がある度に修正などが必要と言うこともあって結構手間だったのですが、パソコンであれば修正と言っても上書きするだけですので格段に楽になるとして、以後は手書きを止めてパソコンで作成したもので行うようになりました。
また、これにより。出席者の変更締め切り時間も遅くなり、ギリギリまで待つと言うことで前日の昼頃までOKとするなど、郵便局にもメリットがあるように思えました。
更に、手書きからパソコン出力としたので見栄えも良くなったと言われて、着実に業務改善?は進んでいくのでした。

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