岸和田郵便局時代の話が続きますが、今回は貯金かでの話をさせていただこうと思います。

当時の集配課長の計らいで、郵便課内務から貯金課に配置換えになったのですが、郵便課ではちょっと干され気味であったので、この配置換えは私には大きな転機となりました。

貯金課では外務員が全員全逓(集配課からの上がりの職員が殆どですので)窓口は、全逓と全郵政と言う構成で。年配者に全逓が多いものの、若い人は全郵政が多かったです。
そんな中に、当時20代の若造が郵便から貯金にまして全逓の組合員というのは異色だったかもしれませんが・・・・。

殆ど違和感なく溶け込めました。

窓口業務で、全逓だから全郵政だからという理由も特段無いわけですし、外務員にあっては募集手当がある訳ですから、いたずらに階級闘争だと言って管理者いじめをする必要も無いわけです。

そんな訳で、すっと受け入れて貰うとともに、いきなり窓口業務・・・それも貯金の端末操作を伴う業務

端末操作は、研修所で習ったのか否かあまりその辺の記憶が曖昧なのですが、操作は簡単なWM(windows Machine)と呼ばれる端末機であり、習得にはさほど苦労はしませんでした。

そこで、早速通常貯金の受け払いや、定額貯金の預け入れ、解約などと言った業務を行うことになるわけです。

二年間全く特定局で触ったことのない貯金の端末をやっと触れることが出来たのです。

そして、その経験がその後郵政局に転用後に重要になってくるとはそのときは予測だに出来なかったのですが、将来の為に今を経験させているような予定調和がココでも発揮されていたのでした。

更に、特定郵便局などでは基本的には16:00以降は端末を操作することはありませんが、普通局では翌日組み入れということで、日付は当日のまま、経理は翌日に処理する処理がありました。

そうです、外務員が集金してきた定額や積み立て、その他は翌日経理として端末機のキー操作で変更できることとなっており、その際日付の後ろにA(addの意味と思うが)つけられており、当日の経理なのか翌日経理なのか、この記号で判断できるようになっていました。

積立式定額貯金が多かったと思うのですが、端末機を通して処理していくわけですが、二人端末操作担当がいたので、競争してどちらが早く終われるか勝負したものでした。もっとも、勝負して何かを賭けるというわけではなく、単に勝った負けたの他愛ないものでしたが、今となっては懐かしい思い出です。

窓口業務以外にも資金室などにも担務として入ったのですが、ココはどうも自分の性分に合わなかったようで、数ヶ月でお役御免となってしまいました。

そんな、岸和田郵便局に移動したのが9月頃だったのですが、ちょうどその頃に郵政局の転用試験を受験したのでした。

当時の内規では、郵政局への採用は基本は、国家公務員Ⅱ種(昔の上級乙種)ですが、若干名を毎年郵便局から転用試験で採用するとしており、4年以上郵便局で実務を経験したものが受験対象でした。

中等部の試験と異なり過去問題集もなく、採用人数も採用後の配属先も知らされないまま、この指止まれ式に募集が行われるのです。ただし、転用試験を受けられ上限が定められていて27歳か28歳までと言う制限がありました。

私の場合、警察官を経て郵政に入省したのが23でしたので、チャンスは2回だけだったのですが、幸いなことに一度の試験で合格できました。

正直、郵政局への転用試験に合格したと聞いたときはとても喜んだものです。

しかし、そのときは既に父親は国鉄民営化の中で既に退職しており、組織は違えど家から一緒に出勤したり、土岐には一緒に帰るという夢はついぞ実現しませんでしたが、父親も鉄道管理局勤務が長かったので、私の郵政局転用を喜んでくれました。

だがしかし・・・です。

実際の転用は、4月ではなく再び7月まで待たねばならなかったのですが、その三ヶ月待ったことが私には非常に有利に働くこととなるのですが、その辺は明日以降にさせていただきます。

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