本日も、私という取扱説明書のお付き合いいただきたいと思います。

岸和田郵便局に勤務した最初は、郵便課に配属され最初は差し立て業務、及び配達区分業務と言うことでベテラン職員と一緒に仕事をする事となりました。

この職場では、全逓が8割、郵便に至ってはほぼ全員が全逓で、鉄郵から来た一名他が全郵政と言った職場だったかと記憶しています。

管理者崩れの年配職員がいました、作業はどこか捨て鉢なところがあって、こんな中年になりたくないと思ったのですが、まさか自分が15年後に同じようなことになるとは夢にも思っていませんでした。

さて、少しだけ脱線させて貰って、当時の郵便業務の話を少しだけさせていただこうと思います。

ポストから集められた郵便物は最初は大きなテーブル上で開封されて、数人で手分けして、定形・定形外にまず区分していきます。

定形外と呼ばれる、大型郵便物は別のかご(ボテ箱)に入れて、別に郵便局別に分けた郵袋に課長代理が主に作業をしていたようです。

さて、定形郵便物に関しては、自動押印期で押印、厚みのある定形郵便物など自動押印期になじまないものは、手押しの押印が行われ、これも熟練者は早かったですが、私などはその半分も行きませんでした。

手押しの際に使われていた、消印(通称櫛形と呼ばれた)

画像は、 切手の博物館 
以下のサイトから、引用

 

 

そして、消印作業が終われば次に行うのは、区分作業なのですが、これには、配達区分と差し立て区分と別れていました。

配達区分は、集配課に引き渡すために朝一番で行う作業であり、差し立て区分は、その後の中央郵便局に戻る10:00頃までを目処に朝一番でポストから上がってくる郵便物を配達先宛に区分して結束(郵便物を束ねる)業務がありました。

もちろん、日本全国の郵便局全てを区分するのではなく、自局落とし(いわゆる、自局配達分)以外は、岸和田郵便局でしたら、岸和田郵便局を中心として下っていく貝塚・泉佐野・泉南・阪南まで並びに、岸和田から枝のように伸びる内畑郵便局向け、更に上り側にある、泉大津・浜寺・堺・泉北といった感じで区分していくほか、大阪市内は郵便番号前三桁の区分、それ以外は二桁区分、例えば滋賀県であれば52、和歌山県であれば64と言った具合。
正直単純な作業でありますが、慣れている人はそれこそ、腰を振りながらリズムを取りながらしているわけです。
実際の標準作業では、区分棚に正対して新田を最小限に動かすこととされており、違和感はありましたが、若いだけに何でも試したいのでしょうね。先輩職員のように腰を動かしながらしてみてもあまり上手くいかない。

結局標準作業方法が一番早いと言うことを改めて知るといった具合で、まず何でも自分で試してみると言ったことが当たり前になっていたように思えます。

さらに、ある程度作業を覚えてくると、今度は如何に早く処理できるか、そうすればより確実にかつ早く処理できるか等余計なことを考えてああでもない、こうでもないとまた考えてしまうのでした。苦笑

どうすれば、より早く郵便番号を認識できるかとか、どのポジションが一番早いか等々・・・もうどうでも良いことに一生懸命になっていました。

まぁ、そうして単純作業を出来るだけ意味のアルモノニしようとしていたのかもしれないし。

単に、ただ立ち止まっているのが嫌だっただけなのかもしれませんが、色々と首を突っ込んで見たものでした。

更には、特定郵便局時代に読み込んでいた例規類集ここに来て生かせている感じがしましたね。

 

そして、最後に少しだけ懺悔

当時は郵便物は郵袋と呼ばれる袋に入っているのですが、小包とか入っている分は投げないのですが、たまに軽いと小包が入っていたりして、最悪の場合は破損させていたかも・・・もし、破損させていたらごめんなさい。

ただし、あの頃はみんな普通に郵便物は正直、手荒く投げていました。

それに疑問を持たずにぞんざいな扱いをしていたのは今から考えれば反省点ですね。苦笑