本日も、「私」という取扱説明書のお話をさせていただこうと思います。
前回は、警察学校時代の事を書いたのですが、警察学校での1年は長いようですが、結構あっという間でした。
3月になり、先任がいなくなり、数日間は同期生だけで羽を伸ばせる。
短期教養生である大学卒業者もいないので、気楽なものでした。
広い寮に10人だけですから。
思い思いにしばし時間を過ごしたものでした。
さて、警察学校も学校と言うだけあって、図書室は併設されています。
ちょうど寮の3階だったでしょうか。図書室と言うよりも資料室であり、司書がいるわけでもなければ、読み物を置いているわけでもない、無味乾燥な図書室という名の資料室でした。
郵政に転職して研修所の図書室の充実していたのはむしろ驚きましたが、警察ではそこで本を読んだりするのはいないと言うことだったのかもしれません。
興味があったのが、小学校時代の同級生父親のことでした。
和歌山県警の警察本部長の息子が当時小学3年生で編入してきたわけで、どのような人だったか非常に興味があったわけです。
当時の警察本部長は概ね45歳から48歳くらいで警視長の階級なのですが、・・・・その方は調べてみれば警視監(警視長より上)の階級であり、その上は警視総監しかないわけで、そんな人が和歌山県警警察本部に来ること自体が想定外だったわけで、翌年には新潟県警に再度転勤していますが、本庁(警察庁)では参事官クラスなのですから、年齢的には50歳くらいだったのではないでしょうか。
何らかの事情で左遷されてその後、ドサ回りと言いますか地方回りを余儀なくされたのかもしれません。
ただ、ご子息はお坊ちゃん育ちだったのでしょうね。
どことなく気品があって、私と同じクラスで、私と机を並べて一年間学んだことは一生の思い出でした。
ただ、自分誕生会に彼を呼んだのですが、前日かになって、彼の母親からあなたのような庶民とはお付き合いできませんと言われたのか、結局彼は、私の誕生パーティーに来てくれることはありませんでした。
もっとも、高級官僚の妻からすれば、どこの馬の骨とも付かない庶民の子供と遊ばせるのは汚らわしいと思ったのかもしれませんが、子供心に凹んだことも事実でした。
まぁ、子供に罪はなくても知らず知らずのうちに、親が色眼鏡で子供を区別してしまうなんてことがあるのは、やはり良くないことだと言えそうです。
閑話休題
さて、そこで彼の父親の階級が警視監であり、結構年配の人であることが判明したわけで、ある意味警察官に採用されていなければ永久に知ることはなかったと考えると、以外と色々と自分の思うことを引き寄せてくれる力があるのかと勝手に思ってしまいます。そう、引き寄せ力が実はとても強いのです。
さて、もう一つ興味があったのは、鶴見事故に関する資料でした。
これも、警察学校の資料室ですのですぐに見つけることが出来ました。
凄惨な事故の記録・・・手書きでも残しておけばと思いますが、その当時はそこまで頭が回るわけもなくただ、見たと言うだけで終わってしまったのは残念な話です。
ここでの、私の中での伝えたいことは。
私自身は、「運が良い」人間だと自負しています。
引き寄せ力が強くて、思うものを引き寄せてくる。
物が欲しいと思えば、どこからかやってくる。
人と出会いたいと思えば、どこからかで繋がっていく。
お金も繋がりたいと思えば、なんとかなっていく。
実は、最後のお金なんですけど。
実はずっと、逆をしてきました。
というか、自分の中で自分がお金があってはいけないんだ・・・とか、自分にはお金儲けが下手なのでお金がないんだとか・・・間違った解釈をしていました。
お金というのは「キャッシュ」と言われるような目に見える物だけではないのです。
ブランド品を買い漁る。高級外車に乗る、豪邸に住む・・・等々ではないんです。
心の豊かさ、慕われること、誰かが助けてくれること・・・健康で、普通に生活できること。
こう言う人が実は。一番お金持っている人なんです。
現金という形ではないけれど、「徳」という今すぐに引き出して使えないけれど、いざとなったら無尽蔵に使える徳があるんです。だから、それ子度が真の「お金持ち」なんだと感じたわけです。
キャッシュで持っていると使ってしまったり、無駄なことに使ってしまう。減ったら、又増やさなくてはと思って24時間お金儲けのことばかり考えなくてはいけなくなる。
それって、お金に振り回されているんです。
お金という魔性に振り回されているんです。
だから、私自身が目先の魔性に振り回されて、お金がないと口癖になっていて本当のお金という物を見つけられなかったんだと思えるわけです。
実際に、口癖で良いから、「キャッシュは手元にないけど、お金はある」と常に意識していけば、きっと、引き寄せ力が働く、そんな気がします。
あくまでも、個人的な感想ですけどね。