今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。
今回は、「歴史を学ぶ」と言うことでお話しをさせていただこうと思います。
選挙の季節になると、無駄を省いて効率的な議会運営をとか、行政のスリム化に取り組みます・・・と言った言葉が聞こえてきます。
なるほど、税金無駄使いをなくすと言うことで無駄を見つけ出して効率化する・・・凄く当たり前のように思うのですが、実はこれには非常に大きな落とし穴がある訳です。
行政のスリム化と言いますが、それにより業務委託をしたりしていくことで、行政の連続性が取れなくなっている事例は多々あるわけです。
さらに、合理化というのは非常に魅力的に聞こえますが、よくよく考えてみたら。
今まで無駄でしたという箇所は既に合理化してきたわけで、さらに改善されていく。〈無駄な伸びしろが限りなく小さくなればそれ以上は何も変化は起こせないわけです。)行政の無駄を省いてと言う言葉を聞く度に、最初の数年は上手く行ったとしてもそれ以上は絞るべき水分が無い雑巾だから、結局何も出てこないと言うことになるわけで、それを繰り返していけば最後は何も残らなくなってしまいます。
結局、行政のスリム化(いわゆる身を切る改革)という言葉に降り回されている人のなんと多いことか。
今回も大阪市長は、議員定数を削減すると言っていますが、議員定数を削減して自分たちに都合の良い議員だけで議会も運営しようと言うことが目的なのかも知れませんが・・・その結果はどうなるのでしょうか。
昭和史を多少なりとも学んだ方ならわかると思うのですが、反対する人が殆ど居ない議会では、形式的には議会民主主義ですが実質的には、議会は単に賛成するだけの装置に成り下がり、議会の意義が失われます。
過半数を持っているのだから何でも市長の言うことに賛成では、軌道修正も何も出来ないわけで、それが戦前の、「大政翼賛会」で有ったわけです。その結果どうなったか。国民は戦争に巻き込まれ、焦土と化した日本があり人類で最初の原子爆弾による人体実験が行われたわけです。(これは、原爆を容認する人が居たとしても間違い無い事実でしょう)
このように、少なくとも民主主義というのであれば、それこそ多様な意見を取り入れていくだけの覚悟、更には市長なり知事が権限を持っていることを権力と勘違いしてはいけないわけです。
市長・知事と言った地方自治の首長の権限は、市民なり府県民から預託されたものであり、権力ではないのです。
ただ、残念ながら小人ほど権力と権威の違いを認識できず。預託された権限を己の権力と勘違いしてしまう。
本来であればそうした権限に対して、足かせを書けるのが議会の立場であり、与党であっても首長を批判する事が大事なのですが、それが出来ないと、ますますその組織は疲弊していくことになるでしょう。
自分たちの行っていることが全て正しいと思って軍部が暴走して結局誰が被害を被ったのか・・・少しだけ考える癖を我々が持つようにすれば自ずとわかる思うんですけどね。
まぁ、色々な意味で大阪は政治のあり方の最先端を走っていますわ。悪い意味で。
あえて言います。
難しいこと判らないと言って避けるのでは無くて、わずか五分でも良いから昔のことそれも、何千年も前の歴史では無くて50年、70年前の歴史を学ぶという癖を付けて欲しいなぁと思うわけです。
私たちが中学生の頃はせいぜい学ぶのは明治時代までで有り、それ以後の歴史は学びません。
ですので、何でそうなった?何で戦争が起こったのか・・・それを漠然としたままで終わっていたわけです。
黒猫のイラストは、イラスト 無料 素材ラボ さんの画像をお借りしました。