今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

 

昨日は中学時代の思い出を語らせていただいたのですが、毎日何かしらを書こうと思うのですが、中々書くためのネタが浮かんでこないわけですが、これは一重に自分の能力が不足するからであって、決して誰かの責任だと言えないわけです。
文章を書くというのはアウトプット【出力】作業ですから、インプット【入力】されるべきネタがいるわけですが、新しいネタを仕入れなければ陳腐化した話しか出来ないわけですから、常に情報はアップデートしておかなくてはならないわけです。
 
最近の大阪のキーワードは、「アップデート大阪」だそうです。
 
より良い大阪を作ろうと言うことですが、私もこの言葉が好きで意識して使うようにしています。
特に、「知識のアップデート」なんて言葉でよく使います。
「知識をアップデート」する・・・何でもそうですが、古い知識。古い考え方ではいつまで経っても古いものしか出てきません。
古いものが悪いというわけではありません。ただ、古い故に非効率であったり、無駄が多く発生したりするのであれば、無駄が少ない状況に置く方がよほど善いわけですから。
 
私も一時期、アップデートが全く出来ない状況に置かれたことがありました。
40代前半の頃でしょうか、完全に仕事に対してのやる気というか使命感を失ってしまったことが有りました。
そんなときの自分を今、冷静に振り返ってみると、とんでもない不良債権でした。
 
とにかく、自宅には数多くの本があるのですが、全く読まずに積み上げているだけ、ネットにはまり、仕事から帰ってきてから、更には休みの日も・・・殆どパソコンが友達みたいな状況でした。
 
ネットの住人としては君臨しても、リアルな人間関係は一層希薄になっていたように思えます。
 
郵政局をパワハラで追われ。更には郵便局勤務中に客に脅されて膨大な借金を背負わされ、更には職場も追われるような。全くの八方塞がりの状況で何も考えられない状況が続きました。
そんな状況ですから、何もしたくないというのが基本となっており、自ら考えて何かすると言うことをしない状況に置かれていました。
当然頭の働きも悪くなります。
 
単純な暗算が出来なくなったり、考えようとすると頭が痛くなってきてしまう弊害に悩まされたものです。
考えること自体を止めてしまったわけですから当然なのですが、愕然としたものです。
 
結局それが打破できたのは、50歳の声を聞いてからでした。
誰に聞いたのかは判りませんが、あなたは50歳を超えてから再び運気が上を向くと言われ、あまりそうした占いの類いは信じない私ですが、まぁ都合の良い部分だけは覚えておこうというノリだったのですが。
本当に色々とチャンスが舞い込んできたりして、運気を吸収しながら。自らの意思でアップデートする癖が付いたように思えます。そして、改めて思ったことは。
自分が代わると言うことを意識しないと何も始まらないなぁと言うことでした。
 
意識して皆さん変わりましょう。
昨日の自分よりも明日の自分はもっと変わっていると思うから。