今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

毎日を怠惰にお過ごし手は行けないと思っていても、疲れているときはついつい怠惰に過ごしてしまうことがあります。

以前はそうしたことに対しても強く自己嫌悪を感じたものですが、最近は体が休息を求めているのだから、無理をしないでおこうと思うようになりました。

 

ということで、時々ボーッと何もしない状態になっていることがある私です。苦笑

さて、そんな話しはひとまずさておき、今回はその話しから派生して、遊びと言うことについて考えてみたいと思います。

遊び・・・について考えてみたいと思います。

遊び・・・英語では「play」と訳される場合が多いのですが、日本語ではこの「遊び」という言葉には、もう一つ余裕と言う意味がありますよね。「遊間」という言葉を聞かれたことはあるでしょうか?

まぁ、調べてみますと土木用語らしいので一般的ではありませんが、以下のように「みんなで作る土木用語辞典」というサイトには出ています。

レールの継目の隙間。橋と橋台の継目の隙間。必要な隙間

 

 

レールも最近はロングレールと呼ばれるものが増えて、レールの継ぎ目というのも少なくなり、かつその継ぎ目も伸縮継ぎ目なるもののおかげで、昔ながらの「ゴトン・ゴトン」と言った音が聞けなくなってきました。

 

「遊間」なる言葉は専門用語ですが、ここで言うところの「遊間」は、まさに「遊び」・・・余裕という意味で使われている言葉ですよね。

 

もちろん、土木に限らず多くの機会などにも動作余裕と言うことで「遊び」を持たせてあります。

之を効率という視点から考えれば、この余裕が少ないほど効率は良いと言うことになりますよね。

 

もちろんその最適値を見つけることは重要ですが、最適値と言うのはIT化等の技術革新でより縮小できる場合もありますが、それでも経験値的に言えば2割、可能であれば3割の余裕を持たせておくのが良いのではないでしょうか。

どこかの首長は、緊急時に合わせて人員を配置していると平時に人が余ると言って公言していたようですが、むしろ余裕を持たせることで色々な合理化にもチャレンジできるという発想にならない・・・すなわち、目先の現象しか見えないと言うことでしょう。

 

私はよく、俯瞰してものを見ましょうと申し上げます。

俯瞰してものを見ると言うことは、より遠方を見渡せることを意味します。

より遠方を見渡すことで、将来の問題点などにも対処できます。

しかし、近視眼的になると現状の問題しか見えません。

現状では無駄だから要らないと言って切り捨てていったらどうなるか。

 

私が31の頃だったでしょうか。

郵政局で物流改善という事が問題になりました。

それまでの旧態依然とした非効率な物流体制を見直せというものでした。

まぁ、当時の資材部長が人事出身だったのですが、自身が人事部に帰りたい一心から始めた様なところがあったのですが

結果的に、物流課は大混乱、更にそのとばっちりが私の担当部署【資材部計画課式紙係】まで派生して、一番物品が多いこちらに飛んできたのでした。

何か改善案を出せと係長に特命が・・・物流係長はごますりのオンパレードで、資材部長と一緒に式紙係長を責めることに、私としては、直属の上司を助けたいので、色々と一緒に知恵を絞ったりしたものでした。

その頃から、俯瞰して考えるという癖が付いたのだと思います。

誰に言われたわけではなく、問題解決をするためにどうすれば良いか・・・考えれば考えるほど、目先の問題処理だけでは意味をなさないと思ったのです。

 

まぁ、その辺の話しは以前にもしていますし、遊びの話しとは直接関係ないので省略しますが、一見無駄に見える余裕、いわゆる「遊び」は、色々な点で必要だと改めて思うわけですね。

「遊び」があるからこそ、時にはその余裕を生かして「俯瞰して物事見る」もしくは「じっくり考える」「長期的視点で戦略を練る」と言ったことにも要員を割けるわけですから。

 

遊びは、「Play」も大事ですが、世間では遊び「room」も必要なわけです。

 
更に言えば、「遊び」がないとそうした人を人員として割くことも出来ず、結果的にその組織は衰退していくと思うわけですね。

 

これは会社組織でも言えますよね、プレイングマネージャーと言って、現場で作業する管理者を入れてしまったり、上司が仕事をしてしまえば部下は育たず、又戦略的な物事を考えると言うことも出来なくなってしまうわけですから。

 

時には、「遊び」これを大事だと言うことを改めて思って欲しいですね。

 

もっとも。子供の「遊び」=「play」も非常に重要な要素なんですよね。

だって、子供は「遊び(Play)」の中から社会性や協調性などを学んでいくわけですから、いたずらに勉強を強制するだけの余裕のない子供を育てていくと、「遊び(Play)」を知らない子供は「遊び(room・余裕の意味)」を持たない子供育ってしまいますから。

 

皆さんはどう思われますでしょうか?

 

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