「道楽」

 

好きな事にふけること。そういう好み。

 

と言う意味があるそうで、食い道楽等は一般名詞化して、特に大阪では、「食い道楽の町」と言われるほど飲食店も多くあります。

ただ、道楽と言う言葉には、最近では死語になってしまいましたが、「写真道楽」といったことばもあり、この場合は、「道楽息子」と言った言葉にも見られるように、「穀潰し」的な意味合いがあるように思います。

 

確かに写真などは今でこそデジカメですので、撮影に対するハードルは一気に下がり、記憶媒体のSDカードも激安となりましたが、その昔デジカメのCFカードも2GBが一万円近くするなど決して安くなかったので、撮影して一杯になったら、DVD等別のメディアに移してなんてことをしていました。

当時、そうしたデータをHDDに移して保管していたのですが、HDD自体が壊れて、バックアップしようと思っていたのですが、どうしようもなくお金がないときで、やばいなぁと思いつつ使っていたらある日ご臨終になってしまってデーターが永遠に失われたという悲しいこともありました。

まぁ、それは余談ですが。

 

それ以前のカメラは更に金食い虫で、フィルム代、更には現像代、プリント代が必要であり、フィルムが36枚撮りでカラーだと1000円近く、更に現像代が400円から500円ほど、プリントも純正だと1枚70円ほどするので、36枚撮影すると現像してプリントがされるまでで、3000円近くするわけで、これが今から40年ほど前の話

それだけに、写真を撮影するというのは道楽者のすることだなんて言われたものでした。

 

高校生の頃などは白黒フィルムで少しでも費用を安くしようとして、更に撮影機会も極力限られるので、今日は何枚・・・みたいな感じで撮影していました。

もっとも、それでも感性のままに何枚も撮って予定枚数をオーバーしたなんて事もありました。

 

またまた、話が脱線してしまいましたが。

 

どうしても、道楽という言葉はどこまでも良い意味で捉えられない場合が多いのですが、

 

道楽と言う言葉に新しい解釈を敢えて加えてみたいと思うわけです。

 

「道楽」・・・「道」の「楽」と書くわけですが、考えてみれば道というのは言い方を変えれば「考え方というか、極めるものの」という風に定義できるかもしれません。

 

柔道、剣道、書道、極道・・・いえいえ、最後は違いますが、何かを極めるときには「探求道」なんて言葉も使いますが、極めるという点にあっては道という言葉を使いますよね。

ということは、「楽しみながらその道を究めること」が「道楽」と考えてはどうかと思うわけですね。

 

修業としての剣道や、柔道ではなく、楽しみながらその道を究める、これを道楽と再定義してみてはどうかと思うわけです。

ふっと町を歩いていて、気になること、興味あることを見つけたら、そこに注目してそこから色々と自分で探求していく、その探求が気がつけば専門家とか権威と言える段階までいけるかもしれないじゃないですか。

そんな風に、楽しみながら道を究める、こんな道楽もアリなのではないでしょうか。

 

道楽、今一度皆さんも再定義してみませんか?