おはようございます、このブログを最初に始めたのが、2014年6月でした。

何か新しい習慣を始めてはどうですかと言われて、始めたのがこのblogでした。

鉄道の話題ばかりだから、それ以外のblogと言うのも面白かろうと思って軽い気持ちで始めたものでした。

最初の頃は、それなりに書く話題もあるのですが、だんだんと詰まってくる。

正直かけないやと思うことがあるわけですね。

時には、画面の前で1時間近く格闘したりなんてことも・・・。

 

今でも、時々詰まってかけなくなってしまうことが多々あります。

まぁ、自身の能力が無いのは誰の責任でもありませんので、少しでも自身の能力を向上させるために、本を読んだり、時には、自分が昔書いたblog等を読み返しています。

 

そして、読み返してみますと当時の書いた記憶がよみがえると共に、出来た点、出来ていない点を改めて再確認できるわけですね。

また、それこそ半世紀近く前に撮影した写真などを見ると当時の様子がこれまたはっきりと浮かんでくるわけですね。

 

そう考えると、記録というのは非常に重要だなぁと思うし、記録というのは記憶の栞(しおり)みたいないものなんでしょうね。

記録という索引があるから記憶が整理できる。

記憶が整理できるから、それを元に思想することが出来るのかなぁと思っています。

そして、最近思ったことは、この二つを連動させて常に意識してアウトプット(いわゆる思考する)と言うことは、図らずも頭の体操になっているなぁと思うのです。

確かに、単純記憶とかはだんだん怪しくなり、時には理解不足なり、思い込みで若い人に迷惑をかけたりする反面、判断力・盗撮力じゃないですよ、洞察力は、むしろ若い頃よりも上がったのかなぁと勝手に思っています。

年齢を重ねても、思索することが億劫で無いと言うことは。考えてみればこれほどありがたいことは無いと思えるわけです。

ギャンブルで使うお金のことを考えれば、その1/10もしくはそれ以下の金額で本を買って、それについて思索する機会を持てば、自らの心を豊かにすることが出来るわけですから。

心を豊かにしても、経済的に豊かにならないと言われそうですが、経済的に豊かであっても心が貧しいとどこまでも貪欲に物欲にまみれる事を思えば、必要なものが満たされている、精神的に心豊かな人の方が遙かに優れていると言えないでしょうか。

まぁ、貧乏人の僻みと取られるも一興、本気でそう思っている変な人がここに居ると言うことです。

 

思想に限界は無く、私自身は色々なジャンルの本を乱読していく中で、己の中で色々な本を読みながら、自らの思索能力を少しでも高めようと努力しています。

そうしないと、頭は使わないとどんどん老化してしまうので、敢えて脳に刺激を与え続けています。苦笑

それに思想というのは、本当に自身の心を豊かにする処方箋だと思っていますので。

 

皆さんにも、この思い伝わっていけば幸いです。