最近の私のスタイル Aiとの協業

 

今日も朝から、思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

最近のスタイルは、自身で下書きをして、それをAIに添削して貰うスタイルです。

自身で見落としてしまいがちになる誤字脱字や言い回しに付いてチェックして貰っています。

まぁ、それを手抜きとみるか効率的とみるか判断は分かれるところかもしれませんが、個人的には理想的な時間配分が出来るのでは無いかと考えて居ます。時間が有限であるならば、その時間を重ね合わせることが出来るように意識すべきではないでしょうか。

そして最も危惧する点は、時間を重ね合わせるという事を、AIの積極的な活用で、時短を図ることだと勘違いしている人が居るということなのです。
AIが何でもしてくれる、そんな風に勘違いしてしまって、自分たちが考える必要が無いのと思っている人が多いように感じるのは私だけでしょうか。

Aiに仕事を奪われる?

 

AIがあらゆる業務を行う。10年前には、単純作業はAIが担うが、知的労働は引き続き、人間様が行うとどや顔で言う専門家が数多くいました。10年後には無くなる職業と言って語る専門家がいましたね、実際には「知的労働者だと思って胡座をかいていた業務の方がAIには相性がよかったようで、AIによる プレゼン資料や文書作成においてAIが優位に立つという、皮肉な現象が起きています。

しかし、これも考えてみれば当然で、現在のコンピュータ方式の限界だと言えそうです。

 

 

 

 

コンピューターにできない仕事をできる人

 

ここで、40年ほど前(1983年)に書かれた、「思考の整理学 外山滋比古 著」の中で語られている、コンピュータという章で、非常に示唆的なことが書かれているのです。

引用してみますと、

ただ、これからの人間は、機械やコンピューターの出来ない仕事をどれくらいよくできるかによって社会的有用性に違いが出てくることがはっきりしている。

このように書いているのです、いかがでしょうか?
40年以上前に予言されたと言うよりも、コンピューターと私たちの付き合い方というのは、40年前も今も大きく変わることはないと言うことなのです。
言い方を変えれば、コンピューターにできない仕事をできる人で無いと生き残れないということになる訳です。

それは、人間が想像力を持っているという事をもっと我々は意識しないといけないということなのです。

そして、これは今後、IT系の企業などを中心に更なるリストラが始まるのでは無いでしょうか。

AIに代替できるのであれば、AIを使いこなせる人間だけを残し、それ以外は要らないということになりかねないわけです。

 

Aiを使いこなせる人とは

 

さて、ここでAIを使いこなせる人とは、どのような人を指すのでしょうか?

先ほど少し語りましたが、「コンピューターにできない仕事をできる人」とは「想像力を持っている人」ということになる訳ですが、こうした特徴を持つ人とはどのような人なのでしょうか?

個人的には、以下のような特徴では無いかと思えるわけです。

  • 自分の信念というか、方針がぶれない人
  • AIの答えを鵜呑みにしない人
  • 自身で、思考の置換えが出来る人、というか、複数の視点で物事を見つけることができる人

これが大事だと思うわけです。

特に最後の考え方は、時には信念がある人と矛盾しているように感じられるかもしれませんが、方向性というか信念があるからこそ、AIの返す答えを総て正しいと信じ込まない人なのです。

もちろん、信念というのは持論に固執するというわけではありません。

あくまでも、何時もよく私が言うのですが、自身の生き方から生まれた「芯」と言えるものです。

芯は、ITの世界で言えば、Linuxでよく言われる、カーネルと言われる部分と言えば、ITを多少なりとも学んだ方には判りやすいかもしれませんね。

我々は、芯(カーネル)は両親から受け継いだ遺伝子情報などにより、ある程度固定されるわけですが、その後の社会環境や自身の努力で、いわゆるアプリケーションを組み込んでいくことで、その性格は確立されるわけです。

ですから芯がしっかりしていて、何か迷ったときに自身の芯を見つめ直すことが出来るならば、複数の視点で物事を見るというのは、信念がぶれるという部分とは矛盾しないわけです。

 

AIの落とし穴

 

あと、注意しなくてはいけないことは、AIはあなたとの会話を途切れさせないために、時にはあなたの言葉に寄り添うような回答を返してくることがあるということです。

AIはそのアルゴリズムから、相手を傷つける発言は行わないようにプログラムされているとも言われています。しかし、AIが返す答えというのは、その人に質問に対しての最適解として答えを返すだけですので、適切な質問で無かったり、その質問内容がよりピンポイントで無いと、その答えは曖昧なものとなってしまいます。
そして、これは今までの検索エンジンでの検索とさほど変わらないわけです。
ただ、文章としてそれらしく返してくれるから、求める答えを返してくれていると勘違いしてしまうわけです。
しかし、ここにはその人の質問に対して会話を続けるためにそれらしく回答を返したという事であり、その求めている答えは、その人の質問に対する鏡のようなものなのです。

逆に、自身が思った答えが返ってこないと、嘆く人もいます。
こうした人は、概ね、AIはダメだと言い出したり、俺の方が詳しいと言った勘違いをしてしまっているように思えます。
鉄道マニアと呼ばれる人たちがAIは駄目だと言ってSNSなどで書かれているのを見かけることがあるのですが、そうした事を見る度に何だかなぁと思ってしまうわけです。
結果的に、こうした人たちは自分の穴の中から顔を少しだけ出して、自分たちの知識の部分だけで叫んでいるだけのように思えてなりません。
もっと広い視野を持ち、もっと違った視点から見る癖をつけることが、コンピューターにできない仕事をできる人として、AI時代に生き残れる人材と言えないでしょうか?
皆様はどう思われますか?