毎日少しずつですが、読書をすることを意識づけていますが、中々書籍が減りません。苦笑
学術文庫と岩波文庫は読み終える度に完全に整理して並べていっているのですが、未読の本も多々有って、中々減ってくれません。苦笑
それでも、最近は意識して学術文庫ばかり読んでいるので、読み終える度に少しずつ本箱の表に見えているメンバーが入れ替わるわけで、それも楽しみだったりします。
多分、既読の学術だけで500冊は優に超えているかと思います。更に岩波の赤や、青、白を入れると1000冊は読了、それ以外の書籍なども含めればもうかなりの額を本に費やしたなぁと言うのが正直な所です。そこで最近意識しているのは、スキャナーを購入して、鉄道ファンや鉄道ジャーナルをアーカイブ化しようと考えています。
実は、鉄道関係の本を一先ずアーカイブ化して倉庫に押し込めれば、文庫本を置くスペースと机を更新できるので、何とかしたいんです。
鉄道ファン、鉄道ジャーナル、鉄道ピクトリアル等、他にも電子化できる雑誌は極力電子化していこうと思っています。
正直そうしないと、狭い部屋がどんどん狭くなっているのです。苦笑
さらに、どうしても調べ物が増えると机もある程度広くないと作業が捗りませんので、その辺も意識したいと思うこの頃なのです。
それと、ついつい古本屋に行っては、学術文庫を買い漁るものですから、どんどん増えています。最近は岩波もあまり買わなくなって、殆どが学術文庫であり、そのジャンルも本当に様々です。
哲学もあれば、歴史もある、更には経済、心理学等々・・・自分でも呆れています。
でもね、こうしてあらゆるジャンルを雑食のように学ぶからこそ、横断的な思考が出来ると思っています。
本を読むとき、何となく判るという場合と、良く判る、全く判らない・・・そんな風に幾つかのパターンが有るように思えるわけですが、個人的にはその時に全く判らないと言う本も読書だと思って居ます。
こんな風に書くと、意味を理解できない本を読むことに何の意味があるのかと言われそうですが、実はこれってその昔岩波の本好きの人が読む本みたいな小冊子に載っていたかと思うのですが、「読書をした」という記憶が、重要なのではないかという言葉が強く印象に残っているわけです。
すなわち、仮に内容を理解できなくとも、脳内では読んだという記憶が残る、そして、数多くの経験などを重ねていく中で、こうした過去の記憶が熟成していく中で他の知恵と融合して新たなイノベーションとでも言いましょうか。
新たな化学反応が起こるわけです。
これを我々は大事にすべきだと思えるわけです。
と言うのは、書物というか世の中というのは一つの基本スタイルで出来ており、それは哲学も、心理学も、はたまた社会学も根底に流れているもの、私は何時も、「根」という言い方をよくするのですが、そうした太い芯が横たわっていると感じる訳です。
ですので、若い頃に読んだけど理解できなかったけれど、最近になって読んだ新しい書物と若い頃に読んで理解できないでいたとおもう内容が根の部分で似ていて、過去に呼んだ本もこういうことだったのかと理解できるなんてこともあるように思えるわけです。
そして、本を沢山読み続けることは、結果的には脳細胞を活性化させてくれる、そんな気がするのです。
読むという事、そして考える事、更にはその感想をこうして文章に書いてみること。
こうした単純作業というと語弊がありますが、本を読む、その時は理解不足であっても、一先ずその話を元に心に残ったことを書き連ねてみる。こうしたことを続けて行くだけで、大きく変われる。そんな気がするのです。
そして、私は少なくとも、65歳、もうすぐ66歳になりますが、今でも考えることに億劫さを感じず、むしろ常に新しい事を学びたいと言う思いに駆られるわけです。
皆様は、どのように思われるでしょうか?
