東海道線の昭和36年7月の時刻表から
昭和36年と言えば、全国白紙ダイヤ改正と呼ばれ、後にサンロクトウと呼ばれた、全国白紙ダイヤ改正が行われた年ですが、その改正が行われる直前の昭和36年7月号の時刻表を参照しますと、大阪ゆきの列車に続く形で、名古屋止まりの列車が運転されています。
実は、この列車昭和36年3月のダイヤ改正で、名古屋止まりになった訳ですが、それ以前は大阪まで行く列車だったのです。
昭和35年当時は、大阪まで直通する列車が二本も走っていたのです。

そこで、この二つの列車についてお話をしていきたいと思います。
昭和36年3月以前は大阪まで運転
131列車と421列車は8分の時間差で出発しますが、静岡で二時間半もの時間差が発生してしまいます。この理由はなんだったのでしょうか?

実は、駅間で長時間停車をくり返しているのです。
例としてあげてみますと、
熱海 2:05~3:10 1時間5分
沼津 3:42~4:22 40分
この二駅だけで、1時間45分ですのであと50分ほどの停車時間がこのどこかの駅の間にあることがわかります。
到着時間と。停車時間が記載ない駅の場合は、到着時刻が判明しませんが131列車が大船~小田原までノンストップなのに対し、421列車は平塚までは各駅停車となっていることなども関係がありそうです。
大阪延長の頃は、名古屋で金沢行きの列車を併結
441列車、荷物が主体の普通列車
国鉄時代には荷物列車等には、400番台、40番台を充てることが多かったようです。
ただ、この400番台の普通列車も36年10月のダイヤ改正では、荷物列車と旅客列車の分離、いわゆる電車化が進み消えてしまいます。特に、輸送力が逼迫していた東海道線では、電化=電車化が積極的に進めて行かれたようです。
主たる理由は、
列車の折り返し時間を短縮できる
- 電気ブレーキの採用などにより、加減速が得意である
- これにより輸送力を上げることが可能となる
- こうした理由が考えられたと思われます。
なお、昭和35年当時の東海道線の夜行列車は、以下のような内容でした。
21時台から23:00頃にかけて、夜行列車のゴールデンタイムだという事がご覧いただけるかと思います。
夜行バスなど無い時代ですので、東京~大阪の輸送力を最大限にするために、九州・山陰方面の列車も21:00台以降に出発している点に注目していただきたいと思います。
筑紫【博多行き】急行は、大阪到着は、8:00台ですので、完全に大阪始発の昼行急行で別系統の方が良かったのではないかと思わせる列車ですが、昭和35年当時は非電化区間も残っていましたので、客車列車で走らせることに合理性があったので有ろうと思います。
しかし、ある意味では乗車しているだけで目的地まで運んでくれると言う点は優れていたと言えましょう。
小平でも解説していますので宜しければご覧ください。



