前回のブログの続き、ギター・ワールド70年代特集のプレビュー、後半をお届けします。
“On one occasion, Brem took me to his friend’s house for a jam. His name was Archie Ivy, who also played bass and we jammed for a good while. I later found out that he was the president of Parliament-Funkadelic, which was my favorite group.
“He told me that in about a year, Mr. Clinton would be forming a new band, and he would set up an audition for me. I never forgot what he told me.”
”ブレムはある日、友達の家でジャムをするんだと言って、僕も連れて行ってくれた。その友達の名前はアーチー・アイビー、彼はベースを弾き、僕たちは結構長い間一緒に弾いた。後でわかったことなんだけど、彼はParliament-Funkadelicのプレジデントで、それは僕の大好きなグループだった。
一年ほどしたら、ミスター・クリントンは新しいバンドを作る予定だと、アーチーは言った。そして、僕のためにオーディションの場を設けてくれると。僕は彼の言ったことを決して忘れなかった。”
Mrs. からのコメント : アーチー、昔はジャパン・ツアーにも同行してたから、会ったことのあるファンカティアもいらっしゃるかも。こちら、ジョージ、ブラックバードと談笑している御仁がアーチー。
Fast-forward a year to September 1978, and McKnight finally got the call Ivy had promised, but the conversation didn't unfold as one would have expected.
“It went something like this: ‘What are you still doing at home? You’re supposed to be on a flight going to Detroit to audition with the Brides [of Funkenstein]. You missed your flight. How soon can you get to the airport?’
“Needless to say, there was no flight booked for me. No wonder I was still at home. That was my introduction to P-Funk.”
McKnight embraced what he calls the collective's ethos of “organized chaos”. He promptly caught the red-eye to Michigan, where he was scheduled to meet some of his future band members at Detroit’s Balmar Hotel.
時は過ぎ、1978年の9月、マックナイトはついにアイビーが約束した電話を受け取った。しかし、その会話は、一般人には予測もできないようなものだった。
”その電話ってのはこうだ。’あなた、まだ家で何やってんの?ブライズのオーディションを受けるため、デトロイト行きの飛行機に乗ってるはずでしょ。フライト、ミスってるじゃない。空港まで行くのにあとどのくらいかかる?’
言うまでもないことだが、フライトなんてブックされてなかった。そりゃ、家にいるよ、これが僕のPファンク人生の始まりさ。”
マックナイトは、自身“オーガナイズされたカオス”と呼ぶグループのカルチャーを大いに歓迎した。彼はすぐにミシガン行きの夜間便に乗った。デトロイトにあるバルマー・ホテルで、将来のバンド仲間達と会うために。
Mrs. からのコメント : この電話のエピソードは、ブラックバード、他のインタビューでも時々ご紹介しているので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、実は、フライトなんてブックされてなかったと言うオチは初耳です。あのせかされて物事をするのを嫌うブラックバードが、あわてて荷造りしたなんて、笑っちゃいます。
“The next day, I auditioned for the Brides of Funkenstein and was hired. In late September ’78, the Brides set off to open for the P-Funk Anti-Tour. After the Brides dissolved, I
became a member of P-Funk in late ’79.”
What followed was a four-decade-plus tenure with Clinton's game-changing music collective, and an even-longer career playing with an enviable list of talent.
”次の日、僕はThe Brides of Funkensteinのオーディションを受け、メンバーとなった。78年9月の終わり、ブライズはPファンクのAnti-Tourのオープニング・アクトで活動開始した。79年の終わり頃、ブライズが解散した後、僕はPファンクに加入したんだ。”
その後に続くのは、40年以上に渡る、ジョージ・クリントンの時代を変えた音楽集団での活躍、そして人も羨むほどの才能あるアーティストたちとの共演履歴はさらに長きに渡っている。
“When I started, I set out to accomplish three things: play with Herbie Hancock, play with Parliament-Funkadelic, and play with Miles Davis,” he admitted in a 2022 Guitar World interview.
“I did all those things. I might have only got to play with Miles live in the '80s – I didn't get to make music with him – but I did it, and that's enough for me.
”僕が音楽を始めた時、ハービー・ハンコック、Parliament-Funkadelic、そして、マイルス・デイヴィスとプレイすることを目標とした。” マックナイトは2022年のインタビューでギター・ワールド誌にそう語った。
”僕はそれを全て実現させた。マイルスとは80年代になってライブでプレイしただけで、一緒に音楽を作る事はなかった。でもいいのさ、僕にはそれで充分だった。
“As for the rest, I've made music that speaks to my soul. I've created cool sounds with George Clinton – the most fun cat to work in the studio with that I've ever met – and I've still got my music to work on.”
For more from DeWayne "Blackbyrd" McKnight, plus new interviews with Pat Travers and
Frank Marino, pick up issue 583 of
Guitar World at
Magazines Direct.
僕は自分の魂に響く音楽を作ってきた。ジョージ・クリントンと一緒に、クールなサウンドを作り上げてきたのさ。あんなにスタジオ仕事を一緒にして、楽しい人は他にはいない。そしてもちろん今でも、自分自身の音楽に取り組んでいるよ。”
Dewayne "Blackbyrd" McKnightの全インタビュー、そしてPat TraversやFrank Marinoの最新インタビューは、ギター・ワールド誌の11月号に掲載。
By Janelle Borg, Staff writer at GuitarWorld.com
With contributions from Andrew Daly
この70年代特集のインタビューを終えて改めて実感したのは、70年代がブラックバードにとって、どんなに大切な10年だったかと言うこと。激動の時代と言われた70年代、ヒッピー・ムーブメントや空前のディスコブーム、反戦運動の嵐の中、愛と平和と自由を求めた若者達、半世紀が過ぎた今、引退して、のんびりと生きている人もいれば、当時と変わらず、自分が信じる社会を実現させるため活動し続ける元気なシルバーたちも多い。そう、シルバーなの、でも、70年代を駆け抜けた彼らは、なんか、こう、すごいんだよね、時代の申し子たち。
さて、そんな70年代を偶然にも一緒に駆け抜けることとなったドーン姐さん、グレート・アメリカン・ミュージック・ホールでのショーは今週末。楽しみです。