5月5日は端午の節句であり
二十四節気の第七節、
【立夏】
畑で色づき始める苺、
青空の下でホバリングする熊蜂、
息を呑むほどに咲き誇ったツツジ、
目を細めたくなるコンクリートの照り返し。
あちらこちらで
夏の気配が感じられ始めた。
5月は巳の月。
オツベルの日干でもある、
【壬】(みずのえ・陽の水の気)は
『絶』を迎える。
『絶』とは
季節に応じた気の大きさを表す十二運星の1つ。
最も気が弱まった状態を表す。
最近の鑑定、
『絶』のある命式が続いている。
私の考察課題なのかしら??
ということで、
十二運星『絶』を少し考察してみる。
十二運星というのは
五行の気の盛衰を
人間の一生になぞらえて
表現している要素だ。
『絶』は
魂だけの状態
と表現されることが多い。
そう言われると
「ふ~ん
」
![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/595.png)
と思うが、よく考えると
おかしな話である。
そもそも『気』というのは
肉体(物理的な実体)を持たない。
それが魂だけの状態になるとは
どういうことを言っているのだろうか?
十二運星の出し方を考える。
十二運星は
十干(五行の気)と十二支(季節)を
かけ合わせることで出てくる。
十干のことを天干といい、
十二支のことを地支という。
天干と地支には
色々な意味合いがあるのだが、
天干は気(スピリット)、
地支は気の作用する場、
という解釈もある。
この解釈を用いると
十二運星は
天干が地支で
どのような作用をしているか
を表しているとも考えられる。
そう考えると
【絶】は
唯一、天干が地支に存在しない状態
と言い換えられる。
地支は気の作用する場、
つまり、現実や実生活、社会のようなモノ。
この辺も定義は色々あると思う![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/595.png)
![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/595.png)
【絶】は現実や実生活、社会に
気が存在せず、作用しないのだ。
それを簡単に言えば
魂だけの状態
となるような気がする。
ならば、それは具体的に言うと
どういうことなのか、、、
難しいな、、、
![凝視](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/629.png)
おそらく、
現実や実生活、社会に存在しないのだから
そういうモノにとらわれないのだろうと思う。
そして、そういうモノに
とらわれないからこそ
感じられることや
考えられることがあるのだろうと思う。
それはある意味では
現実離れ、浮世離れしているように見え、
変わった人だなぁ
と思われそうだ(笑)
なんだか、マニアックになったなぁ![悲しい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/596.png)
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やっぱり、十二運星は難しい!