NHKの歌番組で宇多田ヒカルが
「あれが手に入ったら幸せになれる」
「こうなったら幸せになれる」
そうやって追い求めてしまうと
幸せはあやふやになる。
実は、幸せとは
開いた本の間から
ふと子どもの写真がでてきたときに
微笑んで見入ってしまうような
いつもそこに
なにげなくあるものなのではないか
と言っていた。(うる覚えやがね)
夫が息子を連れて魚釣りに出かけて、
娘はスイミングの合宿。
夏休みでずーっと誰が家に居たところに
ポカリとできたお一人様タイム。
氷たっぷりキンキンのサイダーと
こっそり買って隠しておいたくず餅を
お気に入りのメダカ鉢を愛でながら戴く。
なーんて書いたらなんかリア充だけど、
要は
たまたま1人の時間ができたから
この隙に、
サイダーとくず餅を
ベランダのメダカ鉢のところに持っていって
食べるだけ。
出来事は同じ。
ただ、自分がそれを
どう捉えるかというだけのこと。
家族がいると
自分の食べたいときに
食べたいものを食べられないし、
家族がいると
自分のしたいことを
したいタイミングでできない。
だけど、だから
サイダーとくず餅をベランダで
メダカ見ながらのんびり食べる、
たったそれだけのことを
贅沢で幸せだと感じられる。
手の中にないものを
手に入れたいと願うことを
否定するわけではないけれど
自分の手の中にあるものに
満足するということは
「幸せ」という気がする。
同世代の宇多田ヒカルさん、
言いたいこと、たぶん同じですよね