シスコの顔? マーティ・バリン 逝く | Music and others

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また一人、一時代を築いたミュージシャンが旅立ちました。 
マーティ・バリンMarty Balin)、9月27日に76歳で旅立ちました。 
 
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日本での知名度は、81年に放ったスマッシュヒットの”Hearts”(邦題は”ハート悲しく”)から来るAOR畑のシンガーで、Jポップ好きなアメリカ人という違った観点からの印象ではないかと思います。 
 
何と言っても、82年にソロ・コンサートで来日した際に、ステージであの“ダンシング・オールナイト"を英語歌詞で歌ったのですからね・・・・・。とにかく衝撃的でした!、”スキヤキ”とか”さくらさくら”ではなく、もんたよしのりですよ。 思わず、「エッ!何で」と、コケそうでした。東京は中野サンプラザか、新宿厚生年金会館だったと記憶を手繰り寄せていますが、35年も前のことなので…おぼろげな面はあります。
 
更には、来日した際に買い集めたJポップのアルバムを聴き込み、遂には、大のお気に入りのオフ・コースの曲、”Yes Yes Yes”を日本盤限定とは言え、92年リリースの再結成スターシップのアルバム、『Windows of Heaven』でカヴァーしているのですから。
 
 
本来の姿は、60年代中盤にサンフランシスコで産声を上げたサイケデリックロックの主要な推進者であり、65年には演奏の場として自らがライヴハウス、“the Matrix"を立ち上げたのです。そのお陰で、多くのバンドが出演の機会を得て、サンフランシスコの音楽シーンは盛り上がって行ったのです。
 
特に、歌姫、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)のことは非常に高く評価していたそうです。
 
フィルモア・オーディトリアム(Fillmore Auditorium)やウィンダーランド(Winterland Ballroom)を運営したビル・グレアム(Bill Graham)は、偉大なプロモーターではありますが、マーティはミュージシャンでありながら、二足のわらじを履いて運営したのですから凄いと思います。資金は親からの援助だったようですが。
 
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クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスQuicksilver Messenger Service)、グレイトフル・デッドGreatful Dead)、そして、ジェファーソン・エアプレーンJefferson Airplane)と言う3つのバンドが当時のサイケデリックシーンを牽ていた事は揺るぎない事実です。
 
67年リリースの2ndアルバム、『Surrealistic Pillow』はサイケデリック・シーンとシスコのカウンター・カルチュアを代表する作品として、ビルボード・トップ200で4位入りしています。 
 
シングル・カットされ、スマッシュ・ヒットとなった曲、“Somebody To Love"、“White Rabbit"は新加入のグレース・スリック(Grace Slick)が自身のバンドで発表していたリード・ヴォーカルとして前面に出ている為、誤ったイメージがもたれていると思います。
 
 
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しかしながら、サウンド・プロダクションや作曲の面でのリーダーシップはマーティ・バリンが執っていたのです。 やがて、方向性の違いとバンド内での主導権争いの過程において、バンドを脱退します。 その後も、Airplane からStarshipに改名したバンドに合流して、楽曲やヴォーカルでヴァリエーションを与え続けて来ました。 やはり、甘さのあるテナー・ヴォイスは、グレース・スリックのアルトと絡むと唯一無二のハーモニーを産み出していたからだと思います。
 
彼の代表的な楽曲となると、ヒットチャートを駆け上がった曲を取り上げるところで、Hearts”(邦題は”ハート悲しく”)となるのでしょうが、それは少し本質から外れるように思います。
 
せめて、Surrealistic Pillow』の中で輝いている曲、当時のサイケデリック・シーンの空気感が表現されえている、
 
 
□   " Today"  by Jefferson Airplane

 

 

 
 
を挙げたいと思います。マーティの脱退の後で、ユニーク過ぎるこの二人のコンビもグループを離れて、ホット・ツナ(Hot Tuna)として現在もマイペースで活動しています、お忘れなく。
    Sportify”で聴くーその壱 Hot Tuna(ブログはこちら↑↓
     
 
 
一般的には、75年リリースの2ndアルバムにより、Jefferson AirplaneからJefferson Starshipへの進化を果たして、ビッグネームに昇りつめて行ったキッカケとなった、この曲 " Miracles に尽きるのかもしれないですけれど・・・・。
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それでも、68年10月のフィルモア・ウェストと11月のフィルモア・イーストでのライヴを収録したアルバム、『Bless Its Pointed Little Head』でのバンド全盛期でのステージは二人のヴォーカリストの個性を際立たせており、今でも興奮しますネ。 そして、マーティ作のこの曲を推したいと思います。
□   " Plastic Fantastic Lover"  by Jefferson Airplane

 

 

 
 
 
7分にも達するこの曲" Miracles 、マーティは僅か1時間足らずで書上げたそうです。 シングル・カットの際には、3分25秒に編集されましたが、ビルボードHOT100において3位となる大ヒットを記録しました。結果的には、この曲が以降のバンドの方向性に大きな影響を与えてしまい、徐々に個性を失って行きます。
 
□   " Miracles"  by Jefferson Starship from 『Red Octopus

 

 

 
 
 
そして、フィリー・ソウル辺りから影響を受けたバラッド、76年リリースの『Spitfire』収録のこの曲が個人的には最も好きでした。
 
□   " With Your Love"  by Jefferson Starship from 『Spitfire

 

 

 
 
 
 
マーティ自身は、2016年まで自身のバンドでのライヴツアーを行い、その傍らでは、ジェファーソン・エアープレインとスターシップの再結成プロジェクトに参加しています。 病に倒れるまで、ずっとステージに立ち続けて、生涯現役として歌い続けてきたことは素晴らしいと思います。 2016年にはオリジナル曲を収めたアルバム、『The Greatest Love』を自身のプロデュースでリリースしていました。
 
どうか、先に天国に行った、ジェファーソン・エアープレインのオリジナル・メンバーであった、ポール・カントナー(Paul Kantner)やスペンサー・ドライデン(Spencer Dryden)と出会って、またセッションでも愉しくやってほしいと願います。
 
            Rest in Peace, Marty Balin