石黒宗麿作『彩瓷柿文壺』箱無・・・本物 or 偽物?

 

昨年の8月に

大量の石黒宗麿作品が

ネットオークションに

出品され落札されて行きました。

 

その一連の作品は

全て箱無しです。

 

ワンコレクターが

大量に所持する事は

良く有る事なのですが

箱無しとなると話が違って来る。

 

そういう時は

大抵その作家が亡くなった後に

その家から出てくるケースが

殆ど。

 

そうでなければ

料理屋から出てくるケースですが

そう言う食器類は

使われており

ボロボロのケースが多い。

 

もう一つのケースは

コレクターが共箱を捨てたか

箱と中身を別々にしているケース。

 

箱を捨てるのは

外国人に多いケースで

箱と中身を別々にしている人は

中身だけを飾っている人。

そういうコレクターの場合

亡くなった後に

箱だけ別に出て来る事が有って

家族が合わせるのに

苦労したって話も有りますが

(あるギャラリーが

実際困っていました)

それは

極めてレアケースです。

 

でもそういう作品は

必ずホコリが積もっています。

 

今回の作品は

そのどれにも該当しない。

綺麗でしたから。

 

だから

その時出て来た作品が

どういう状況だったか

判らない。

 

その多くの作品の中でも

白眉だったのが

上記の『彩瓷柿文壺』

 

見た瞬間に

おおっと思ったのですが

やはり

箱無しで出て来る理由が

見つからない。

 

代表作のシリーズですから。

 

箱と中身を

持ち主が

別々に保管していたか

それとも

箱は全て処分していたとか・・・。

 

でもそうなると

一つ疑問が浮かんで来る。

 

経年のヨゴレ、埃はどうなった。

どう保管されていた?

 

疑問だらけです。

 

上記の作品の

代表作として

美術館に入っているのがコレ。

石黒宗麿《彩瓷柿文壺》1959-61年

東京国立近代美術館

 

ホントに良く似てます。

 

こういう場合の

真贋を見極める為の

ルールと言うのが

私にはあって

一作家の作品が

大量に出て来た場合は

先ず怪しい作品を見つけ出す。

 

その1点に

疑念が有れば

全ての作品を疑って見る。

 

そのキーポイントになる作品が

下の御茶碗でした。

同時に出品されていた

一点です。

 

 

 

この作品の

印の部分。

 

上の文字と下の文字の

書体が異なります。

 

“宗”の字と“麿”の字が

別々に押された証し。

 

この事から

今回の宗麿作品の全てが

怪しい。

 

そう言う結論に達しました。

 

そう考えて行くと

作品に押されている印全てが

怪しくなってくる。

 

印がシャープ過ぎるのにも

問題が有る。

 

印は日本の文化ですから

特に小印は難しい。

出品作に押されていた印。

もう一点、後日出品されていた壷。

その作品の印の部分。

前の壷と、印が違います。

こんな作品も、出品されていた様です。

その作品の印の部分。

 

これらの作品の

印のシャープさを考えると

凸版の活字ではないのかなって

思えてしまう。

 

この話しを

ある工芸店の御主人にした時

昔京都に

石黒宗麿の贋作を造る人がいて

それがとても上手かったと聞きました。

 

その可能性も

有るかも知れませんが

印の問題が有る。

 

こんなシャープな印は

むしろ逆に難しかったりする。

 

多分

活字の金属印ですから。

 

謎の多い

これらの作品ですが

石黒宗麿には問題が有って

所定鑑定人が

今はもういません。

 

以前は

清水卯一氏が担っていましたが。

 

出来るとしたら

陶芸家の原清氏でしょうか。

受けてくれるのかなぁ?

石黒宗麿作品に強い

ギャラリーも

銀座に有るのですが

箱書きはしないだろうなぁ。

 

石黒宗麿もまた

箱無は

真贋を鑑定する人が

いなくなってしまった

陶芸家です。