世の中には

贋作ばかりを

結果として買い集めてしまう

コレクターがいます。

 

贋作コレクションに

なってしまう人達。

 

その人達は

幸せでしょうか?

それとも不幸でしょうか?

 

世の中には

オークションで

10万円で買える物を

サクラと競り合って

100万円で

買う人達もいます。

 

その人は

幸せでしょうか?

それとも不幸せでしょうか?

 

どう思いますか?

 

昔の自分ならば

そういう人達を

小馬鹿にしたでしょうが

今は違います。

 

ニセモノを掴まされたり

市価の10倍の金額で

コレクションを作ったとしても

それはそれで構わない。

 

それは何故か。

 

人によって

幸せの尺度が異なるからです。

 

贋作を買ってしまう人は

それを本物だって思って

安く買えたって

思っているから

それはそれで幸せ。

 

オークションで

サクラと競って

市価の10倍の金額で

買ったとしても

それが欲しかった訳だし

何より

競り勝つ事に

喜びを感じる人達もいる。

 

それもまた

幸せの一つなんです。

 

幸せの尺度が

人によって違うと言う事に

気が付いてから

闇雲に人の買い物に

口を出さない事に

決めました。

 

アドバイスを求められれば

注釈する程度。

 

どうしても欲しかったら

真贋関係無く

買えばいいし

たといそれがニセモノでも

諦めが付く。

 

勝ち負けに

喜びを感じるのであれば

金額は関係無い。

 

だったらサクラの

思うがままではないかって

思うかも知れませんが

そういうサクラは

その内サクラって

気付かれます。

 

お節介な人達が

その内

さりげなくアドバイスしたりもする。

 

世の中

そんな物なんです。

 

ゴッホが好きだからって

ゴッホの本物が買える人は

そうそういない。

 

有るギャラリーのオーナーと

その話になって

本当に好きだったら

本物でも印刷でも関係無いんだよって

その作品が

自分の琴線に触れるかどうかって

話しなんだからって

そういう話しを聞きました。

 

確かに

好きな画家の絵であっても

全ての作品が好きな訳では無い。

その画家の

この絵が好きだって

そうなってしまいます。

 

美人画を見た時

その絵の真贋は

金額に反映されますが

描かれたモデルを

好きになってしまったら

それはそれで

真贋は関係無くなってしまう。

この絵は詐欺出品でしたが

この絵のモデルは

実は嫌いでは有りません(笑)。

安かったら欲しいと思った一点。

映画『おしゃれ泥棒』

贋作一家の話しですが

劇中に出て来る

誰にでも欠点はあるものさ、は

有る意味名ゼリフです。

確か出て来る彫刻が

ヘップバーンに似ている事から

贋作と気付かれたっていうストーリー。

 

無名の彫刻で有っても

自分の好みの顔立ちだったら

金額は関係無くなる。

 

欲しいと金額が結び付いた時

コレクションは始まります。

 

本物でなくてもイイ。

 

印刷よりは

肉筆がイイ。

 

贋作って

案外そんなとこから

始まっているかもしれません。