赤穴宏と言う

洋画家がいました。

 

知っている人は

知っているし

知らない人は知らない(笑)。

 

万人に知られた洋画家では有りません。

どちらかというと

マニアックな洋画家。

 

自分は赤穴氏の静物画が

大好きです。

 

写実だけど

決してそれだけでは無いし

その描かれているフォルムも

決してシャープでは有りません。

 

リアルでない線で描かれた

シャープな静物画。

静謐さを湛えた

静物画。

 

それが赤穴氏の作品。

 

その中でも特に好きなのが

磁器製の瓶やガラスを描いた

静物画。

果物とか

生(せい)の要素の全く入らない

硬調の静物画。

 

この世界観が

多分日本人にとって

原点に近いと思っています。

 

武士としての矜持。

 

海外の人々には

決して理解出来ない。

日本人が独自で持ち合わせる

世界観。

 

刹那の世界。

赤穴宏作「壷と青いびん」


赤穴宏作『新緑のころのびんなど』

 

赤穴宏の世界観に対して

海外の世界観は

対極にあります。

モランディー作『静物』

モランディー作『静物』

 

モランディーの描く静物は

とっても暖かくて柔らかい。

人を癒す静物。

 

でも、存在感は有っても緊迫感は無い。

 

この違いは何かと言うと

武士道の死生観。

 

この一言に尽きます。

 

例えば

光悦の茶碗。

光悦の茶碗展を見た時

光悦は間違い無く

武士だと思えました。

 

圧倒的な

研ぎ澄まされた感覚。

後戻りを許容しない潔さ。

御茶碗を

まるで刀で切って

造っているかの様な

一箆。

 

ザクザクと音を立てて

切って削ぎ落して

造っている。

そんな感覚が見えて来る。

そして生まれた

御茶碗の数々。

 

そこには厳しさしか有りません。

 

そしてその向こう側に

優しさが

垣間見える。

本阿弥光悦作『冠雪』

 

日本人の持つ源流が

そこには有ります。

 

赤穴宏氏の作品は

再評価されるべきだと

私は思っています。

 

そして

再評価して欲しい画家は

実は

まだまだいます。