鉄道文学傑作選 | あだちたろうのパラノイアな本棚

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読書感想文、映画感想、日々のつぶやきなどなど。ジャンルにこだわりはありませんが、何故かスリルショックサスペンスが多め。

 

 

文豪が書いた鉄道が出てくる名作集。

考えただけでワクワクするわ!(乗り鉄気質なので)

作家陣は錚々たるラインナップですねハート

 

この編者さんが本当に鉄道好きなんだなあ・・・と思いながら読みました。中には長い小説もあるので、中略しながら鉄道が出てくる章だけを選んで掲載してあります。

 

まず最も有名と思われるのが夏目漱石の『三四郎』

三四郎が九州から山陽線に乗って、大阪方面に向かっています。目的地は東京。でも、夢はあれども伝手はない。

 

この頃の鉄道はすごく雑多な不思議な空間で、赤の他人がボックス席に乗り合わせて向かいになったり隣になったり、長旅だから食べ物をもらって一緒に食べたり、身の上話をしたり。

そしてめいめい目的の駅で降りて行くと、もう一生会わないんでしょうね。

現代ではわずわらしくて考えられない世界です。そのゴチャゴチャした風情と一期一会の人間関係がしみじみ心に沁みました。

 

(ボックス席のある列車はローカル線ではまだまだありますけどね)

 

旅情という意味では、北海道が一番ピッタリなのでしょうか。

石川啄木の詩『一握の砂』と、志賀直哉の『網走まで』がどちらも北海道の列車旅を題材にしていました。

と言っても、志賀直哉の方は、網走までと言っときながら語り手が宇都宮で降りてしまうのですが・・・

 

森田草平『煤煙』

男女が心中するために駆け落ちする話。田端から西那須野を目指すんです。やっぱり北なんだな。

悲しい思いを浄化させるには、北の大地が適しているのだろうか真顔

 

芥川龍之介の『舞踏会』は鹿鳴館の話だから、鉄道は関係ないのでは?ラストにほんのちょっぴりだけ汽車が出てきます。これは横須賀線ですね。

 

萩原朔太郎の『純情小曲集』から、「新前橋駅」という詩にちなんで、解説がしてありました。

群馬県の水上から清水トンネルを抜けて越後湯沢まで上越線が開通したのが昭和31年秋。

群馬県の温泉場で執筆していた川端康成がふと思い立って清水トンネルを通過して越後湯沢へ行ってみたのが34年の11月か12月とのこと。これが『雪国』の発端となる。

 

おお〜〜

 

そうすると川端康成の「上越線に乗ってトンネルの向こうに行ってみた」的な乗り鉄行動から出来上がったのかな〜あの小説は。鉄道の魅力ってすごいな。

 

 

さて、ガチの乗り鉄の話が一つありました。

 

『循環急行と只見線全通の日』宮脇俊三。

 

宮脇俊三さんは1970年代まで中央公論社の敏腕編集者だった人だそうです。鉄道オタクぶりは6歳、1932年の頃から。今でいう乗り鉄で、ただ単に鉄道に乗りたいからという目的で旅行をしていたらしい。本人曰く「児戯に等しい」と恥じていて、誰にもその趣味を言わなかったらしい。

 

可哀想だな。

 

現代はオタクがオタクであることを高らかに公言することができて(しばしば賞賛の的にもなり)、いい時代になったと思います。

 

この本には、宮脇さんが岩手県の釜石線と山田線に乗った話が書いてあります。

普通は盛岡から花巻まで南下すればいいだけなのに、わざわざ沿岸部の宮古まで出て、釜石〜花巻まで行った旅行記です。

 

車掌さんにびっくり仰天されたらしい。

 

 

盛岡から宮古までの山田線を引いたのは、かの盛岡出身宰相・原敬です。

こんな山奥に鉄道を引くことに対して、野党議員から

「いったい総理は山猿でも乗せる気ですか」

とヤジられた。

そこでの原敬の返しは、

「鉄道法によりますと猿は乗せないことになっております」

とサクッと答えたという。

 

ここに住んでいる人にとっては甚だ失礼な話ですが・・・

ともかく山田線は、原敬の恩恵だそうです。

 

宮脇さんの乗り鉄魂は、当然只見線にも及んでいました。

会津若松〜小出の、あの風光明媚な只見線。

岩手の山田線が「猿を乗せる」と言われるなら、只見線は「新鮮な山の空気を乗せてる」と揶揄されたりしますが・・・

今はけっこう観光的な要素で乗客は増えたのかな。

 

文章全体に、とてつもない鉄道愛を感じます。楽しく読みました。

 

 

〜おまけ〜

 

もうすぐバレンタインデーですねハート

 

 

メリーチョコレートの「TSUWAMONO」という、戦国武将モチーフのチョコを買ってみました。

 

これ、信玄&謙信バージョンなんですよ〜

甲斐の虎と、越後の龍です。

 

 

かっちょいい〜〜