マイブーム、ちょっと戻って南北朝〜
これすごく夢中で読みました!面白かったなー。
おそらくこの時代に最も振り回されて利用されたお方であろう、北朝の光厳天皇のお話です。
後醍醐天皇が強烈すぎるので南朝のことってよく描かれるけれど、北朝天皇はたまに出てきたり出てこなかったり・・・弱々しいイメージなのですが、時代に翻弄されつつ、何を考えていたのだろう?
そんな想像力を掻き立ててくれる一冊でした。
天皇が二人いるめっちゃややこしい時代。これを作った張本人は足利尊氏だとか言われますけど、よく読んでいくと、その前からもうその兆候はありましたよね。大覚寺統と持明院統という。なるべくしてなった、という感じか。
この本の語り手に当たるのは持明院統の光厳天皇・量仁です。彼の父と叔父は時の権力闘争により幼くして即位し、サッサと退位させられた遺恨があるので、次世代の量仁に多大なる期待をかけ、学問のスパルタ教育をしていました。量仁は、自分は特に才能もない平凡な人物であることを自覚しながら、家族の期待に応えようとがんばります。
現在の天皇は大覚寺統の尊治(後醍醐天皇)です。本来の取り決めでいけば次は持明院統の順番で量仁のはずなのに、後醍醐天皇はいつまでも位を降りず、しかも倒幕の企みをしているらしい。
ここに北条・足利・新田・楠木・北畠など著名人物が次々と登場し、帝位があっちに行ったりこっちに行ったり、即位がそもそもなかったことにされたり(?!)しっちゃかめっちゃかになってゆく
時代としては、鎌倉幕府滅亡から観応の擾乱を経て、やっと皇統がまとまる足利義満の時代まで書き切っているので、一大ドラマを見たような満足感があります。光厳帝の人生は本当に波瀾万丈波瀾万丈といえば後醍醐帝が最も波瀾万丈だったかもしれませんが、まああちらは自業自得みたいなもんですから
しかし一人語りで登場する光厳帝は、ただ翻弄されてばかりの弱々しい人物ではなかったですね。利用されているのを自覚し、今この瞬間に自分が何をすべきか難しい判断を迫られ、時に命の危険も帯びつつ、運命を切り開いてゆきます。
その根底にあるものは、「天皇とは何か」という問いです。
これに関して、後醍醐帝と光厳帝が二人きりで対峙した時の問答が印象的。
天皇とはなんぞや?
後醍醐は即答。「日本国のあるじぞ」
同じ問いに対して光厳帝の考えは、全然違うものなんですね。
こういう手に汗握るシーンの書き方、上手だな。ドキドキしながら読みました。
光厳帝は本当に数奇な運命を辿るのですが、面白かったのは、辛い時にいつも筋トレしてることこれはまだ鎌倉幕府があった頃、六波羅探題の北条仲時に教えてもらいました。
仲時の精悍な佇まいに魅了された光厳帝はお忍びで彼の屋敷を訪れ、夜、二人きりになります。スルスルと衣を脱いで裸体になった仲時が見せてくれたのは、マッチョで逞しい武士の体でした。
仲時は「乾坤」「山嵐」「衝天」というトレーニング方法を教えてくれます。(どうやら腕立て伏せ、腹筋運動、スクワットのことらしい)
「筋肉こそが力の源泉、気力の源」
これに感激した光厳帝はそこから毎日のように筋トレをし、弟や自分の子にも教え、辛い精神状態の時でも筋トレで心身を鍛えながら乗り切るのでした。
ホントかよ
いや、これは完全にフィクションなのでしょうが・・・
笑ったな〜
確かに筋トレ大事よね。
体を鍛えていると、内に自信がみなぎって、仕事とかも堂々とやれるんだってね。
北条仲時は戦に敗れて自決してしまったけど、光厳帝にとって仲時は心の師であり、忘れられない親友になっていました。
その後、足利直義の実直で精悍な雰囲気が仲時に似ているということで光厳帝は親近感を抱き、なので直義とは気が合ってます。
尊氏は、何考えてるかよくわかんない奴だからパス。
高師直も、天皇制の破壊者だからパス。
なのに信じていた直義にも、観応の擾乱で裏切られてしまうんだ〜〜
辛い思いをまた彼は筋トレで癒す。
思い返してみれば、主人公がたくさん裏切られて辛い思いをしたけれど、極悪人に書かれていた人は誰もいなかった気がします。それぞれ自分の立場でみな精一杯やったから、敵にも理由があったんだ、という。
これが大御心ってやつなのかな〜〜
この一貫性が、読了後の清涼感につながっているのかもしれません。
小説内に散りばめられている和歌の数々も意味が深くて良かったです