日本最大の製鉄会社である日本製鉄がUSスティール買収する事が話題になっている。日本製鉄に次ぐ製鉄会社に

JFEがある。両社ともに合併の繰り返しで大きくなってきた。


昔に勤めていた会社が日本鋼管(川崎製鉄と合併して社名がJFEとなる)と取引があり、その関係で地元や転勤先にも事業所があった。


以下、事実もあるが伝聞もあり真偽は定かではありません。




まず、JR鶴見線の話題から始めます。


鶴見線の駅名のほとんどは、当時の実業家の名前等にちなんで命名されている。 「鶴見小野」は地元大地主の小 野重行、「浅野」は浅野財閥の創設者で鶴見臨港鉄道を設立した浅野総一郎、「安善」は安田財閥の安田善次郎、 「武蔵白石」は日本鋼管の白石元次郎、「大川」は製紙王の大川平三郎、「扇町」は浅野家の家紋の扇にちなんで いる。

(川崎市のHPから引用)


日本鋼管の周辺では「命と金の交換町」と喚ばれていた。その由来は、


日本鋼管は、川崎市に川崎、扇町の両工場があり、鶴見区には鶴見工場などがあった。その周辺には朝鮮半島から強制連行されてきた人々たちが、「技能工」として従事させられた。1942年末には工業地帯の臨港地区だけでも約6500人もいた。


強制連行された人たちの間で歌われた歌がある。中でも日本鋼管は『命の交換』と歌われていた。工場内の事故による死傷者が毎日のように続出し、栄養不良で死んだ人も多かったからだ。


日本鋼管に出向いていた頃、その名残があり事業所周辺には焼肉店が多く存在する。

死亡事故も多く年に一度、横浜市鶴見区にある総持寺で慰霊祭が行われていると聞いている。

事業所に入る時にはヘルメットを渡され、「ご安全に」と呼び掛ける程に社内の安全意識が高かった。