明日20日は、府中の大國魂神社で「すもも祭」が催されます。


府中に居を移してまだ1年になりませんが、四季折々の催し物があり、嬉しいというか、楽しいというか。

住民としては、季節を感じるのに事欠かないのでありがたく思います。

こうした催しが、近隣の方々に浸透すれば、立派な観光資源になりますよね。


すもも祭。

いわれも古く、実に由緒正しいお祭りのようです。

すももを売る屋台が並ぶらしいですよ。

平日なのが残念ですが、すももの香りに包まれた良い一日となるのだろうな、と思っています。

夜9時頃までやっているそうなので、明日は嫁と一緒に覗きに行く予定です。

お近くの方は、是非足を運んでいただきたいと思います。


このお祭、烏の団扇や扇子が名物らしいです。

何で「すもも」祭りなのに「カラス」なんだろう、とちょっと疑問ですが。

神社のHPには、その写真も出ていますが、かなり趣のあるデザインなので今から団扇をゲットするぞ、と息巻いています。


そうそう、話は変わりますが、夏になり我が家から見える富士山も、雪がほぼ消えて、青い姿になっています。

冬と比べてその姿が見える日は激減していますが。

今日の月はぼんやり。


今日は暗い政治の話題は無しです。

明日も暑いのかな?

現政権の恐怖は、無能であることに留まらず、日本人に害を成す思想にあると言っていいでしょう。

左翼的な思想が政権の中枢にある事が、この根本にあります。

民主党の衆議院議席数は過半数を超えます。

参議院も今回の選挙で惨敗とはいえ、過半数にやや届かない程度。


公明党は外国人参政権が国会に提出されたら、協力すると公言しています。

社民、共産も同様の立場でしょう。

これらの党が民主党に手を貸せば、数の上では即座に法案は成立してしまいます。

これば最高裁判決の網の目を潜り抜け、それを無理やりこじ開けようとする、日本人にとっての災厄そのものです。


ですが、マスメディアはそれを報じません。

サンケイグループのみがその危険性を警鐘しているものの、他社は外国人「が」の字も出さなかったり、出してもその内容について触れることはありません。

ネットなどのメディアを見る、日本を憂いる方々はその危険性を十分承知しており、それを推進する民主党の左翼グループに対して批判を強めています。

この構造の中には、メディアにも左翼的な思想が蔓延しているほか、在日外国人がその要職に深く浸透していることの表れでもあります。

スポンサーが在日企業であれば、その意向に唯々諾々と従うしか無いかもしれません。

「メディア」を自認するのであれば、公平に日本のあるべき姿を論じるべきなのですが、それができていません。


前述の通り、公明党が外国人地方参政権に賛成の立場を表明すれば、民主党から造反者が出ない限り、法案は成立してしまいます。

無論、法案が成立した後には、憲法違反であると訴訟が起こされるのは間違いありません。


民主党の議員の中にも、外国人の参政権付与に否とする方も居ることでしょう。

しかし、党議拘束された場合に、いかにそれに抗うことができるか。

日本の未来がその意志に掛かっている、と言って良いでしょう。

どこまで自己の信念を貫けるか、有権者の付託に答えることができるか。

政権与党となった民主党を冷ややかな目で見つつも、反乱を起こし国の危機に立ち上がってくれる存在を期待している人たちが多く存在します。

「日本人(日本国籍を持っており、日本を愛している人の意)」が外国人参政権など望むはずもありません。


外国人参政権を提唱し、その思想の発端となった方も、「今、国防、外交面に照らし合わせると、外国人参政権提唱は誤りであった」と認め、現在は付与反対に転じています。

最早、その法案に関する根拠を失ったと言っても良いでしょう。

しかし、その成立が現実味を帯びてくるにつれ、危機感を募らせたのは、県政、市制など地方議会です。

大量の在日外国人が一定箇所に流入した場合、ある意味合法的に乗っ取りが行われてしまいます。


前にも述べましたが・・・・

「日本は日本人の国であり、在日外国人はお客様である。客に軒先を貸して母屋を取られるような思想は捨て、あくまでも日本人は外国人をおもてなしする家主であるべき」なのです。

在籍する党、国家地方問わず、議員の方は「日本人」のためにどうあるべきか、真剣に考えていただきたい。

おのずと答えは出てくるはずです。

信念に従って行動して欲しい、きっと有権者はそう考えているはずです。

そう信じて、1票を投じているのですから。


今まで日本を育ててくださった先人に恥じないような国作りをして頂きたいものです。


梅雨が明けたと思ったら、もう本格的な夏。
暑い・・・・と、言う前にセミの声。
ジーコジーコとアブラゼミの声だ。
この声を聞くと「夏だな~」と思うと同時に気持ちも暑くなる。

ちょっと気分転換に写真でも。


政治家やってみようか・・・・・・・と思いつつ-花、名前は調べてません。

せっかくの3連休。

何をしようかと思いつつ、ちょっとダラダラ・・・・。


来年の統一地方選挙、公募してる党にアポイントとりたいけど、その前に身内を説得しないと。

実家に帰るのはお盆以降なので、それからか。

と色々考える今日この頃。


冷たいお蕎麦を食べて、頭を整理しよう。


関東地方は梅雨明けしたらしい。>
昨日から結構、好天だったので、明けたのかな?と思っていたので納得という感じでした。

とはいえ、梅雨の豪雨による水害の被害は相当甚大なもののようです。
負傷者も多く、死者も多く出ているようです。
自然災害の前に人間は無力ですね。これ以上の拡大が無いことを願います。
日本のように先進国であっても、その被害を避けられないのだと、実感させられます。
人間は川を制するため、護岸工事を積極的に行ってきました。
果たして、それは正しかったのでしょうか。
川をコンクリートの壁で固め、流れを制御する。
河川の氾濫を防止する目的で行われたはずの工事は、結局無力だったのか。
それを考えたいと思います。

私は河川のコンクリートによる護岸工事には反対の立場です。
細かく言いますと、川の岸は砂地もしくは石や岩場であるべきだと思っています。
そうした自然に近い河岸がある先にコンクリートによる水害対策があっても良いと考えています。
コンクリートで固められた川はドブ川としか見えません。

昔から、曲がりくねった川を制御しようと人間が無理な流れを形成したことが今の災害に繋がっていると考えて良いでしょう。
別の例で言えば、病原菌対策のため、薬を開発したら、それに耐性を持つウイルスが現れた、といういたちごっこのような出来事です。

私が川岸は自然に近い形であるべき、と考えるのは、自然植物が緩衝材となったり、石や岩が無理なく力を伝え、水の流れに無理が無いようにするのが最善と考えるからなのです。
飽和量を越えるような雨量があった場合、どうなるか。
川が流れる道筋(要は川幅)が狭く、物理的に無理の有る作りになっているのが原因で耐え切れない部分が市街地に流れていく。
要は人間が作ってしまった川にキャパシティが無いのが大きな要因です。

輪中と呼ばれる地域がありますが、住宅地より川の水位の方が高いため、強固な護岸工事および堤を作っています。
雨が降れば、川に流れるはずもなく、水はたまり、家屋は浸水被害に悩まされます。
私の地元も幾度と無くそういう被害にあっており、試行錯誤が繰り広げられています。
市街地に局地的な降雨があった場合には山間部のダムなどは意味がありません。
速やかに水を流す必要があります。
住宅地の為に、川幅を狭くしてきたことに大きな問題があります。

今更住宅地を減らして、河岸を広くするなどできないかもしれません。

しかし、国や行政が協力すれば、それも不可能ではないはずです。
水害などの自然災害は、個人レベルではどうにもなりません。
できれば、自然に近い広い河岸を作り、その先に護岸工事を行っていただきたい。
それが、河川の浄化にもつながります。

美しい川って、それだけで観光資源になると思いませんか?
行政は、川作りがただの災害対策だと思わないで頂きたい。
そこに住む、皆の財産なんですよ。
漁業だってできるかもしれません。
子供の頃釣りをした川が見る影も無い、そう言って嘆いている方も多いと思います。
子供に残す美しい川。
災害対策と、観光資源を作る街づくり、表裏一体なんですよ。

@人工の川を川と思えない市民より
小沢問題で一喜一憂。

昨日、小沢氏の07年分の土地取引など、収支報告書虚偽記載に関する議決が出たのは、皆さんご存知だと思う。

今回は「不起訴不当」というもので、04と05年分の議決に影響を与えるのでは、とも言われている。

ここで整理すると
【04,05年分】検察:不起訴 → 検察審査会:起訴相当 → 検察:不起訴 → 検察審査会:審議中
【07年分】検察:不起訴 → 検察審査会:不起訴不当 → 検察

となっているわけで、いずれも非常に疑わしいというわけだ。
ここまで疑われた時点で普通なら政治家として信を失っているわけですから、速やかに職を辞すのが公人たる者の取るべき行動ではないだろうか。
しかし、本人は権力を欲して止まない。であれば、誰もが納得できるよう筋道を立てて明確に説明すべきで、「私は潔白だ」の一言だけで高圧的態度を取るのは、正しい有り様ではない。
居直り強盗と言われても仕方がない。
どこを見て政治家をやっているのか。

しかし、一番の問題は、彼の取り巻き連中だろう。
ここにきて尚、虎の威を借る狐のごとき輩の多いこと。
彼らには自らに投票してくれた有権者を顧みることはないのだろうか。
有権者を顧みない政治家は政治家ではない。やがて野に果てる。
野に果てた狐を虎は救ってくれるはずもない。無論、虎も果てていないとは言えない。

記憶に新しいところで……昨年の衆議院選挙の後で、真っ先に自民党から民主党に乗り換えた参議院議員がいた。
与党に擦り寄る姿は、理念もなければ、義理も新年も無く、日和っただけと見えた。
有権者に非難され、逆ギレ。
そして迎えた参議院選挙。比例代表でありながら彼は破れ去った。
名前は田村耕太郎。
つくづく哀れな末路である。

そういえば昔、末広まきこっていう同じようなのがいたな。

政治家は有権者より偉いわけではない。それを忘れたらおしまいだ。