日本語って、すごく特殊な言語で
海外の方からすると別格に難しい言語なのだそうです。
私が学生時代、金田一春彦さんがテレビで
日本語があまり変化していないのはここ数十年だけで
今まではしょっちゅう細かい部分が変わってきた言語です
という事を言っていました。
日本語はしょっちゅうマイナーチェンジを繰り返している。
そして、それからもう30年以上経つので、
細かい変化というのはあるんだと思います。
で、何が言いたいかっていうと、
これだけしょっちゅう変わる言語なので
憲法も細かく変更してもいいんじゃないかって
私は思っているのです。
解釈、意図は同じでも、正しく読めない可能性がある部分は
伝わるように変更すべきなんじゃないかと。
じゃないと、改憲しても解釈論でいろいろもめる
というのは終わらないんじゃないかって思うんです。
例えば、憲法九条の「国権の発動たる戦争」
って正しい解釈できていますか?
国権…国家権力→政府?
発動…動き出すこと
「の」は「が」に訳す
「たる」は「たり」の連体形「~た」と訳す
と考えると
政府が動き出した戦争→政府が始める(仕掛ける)戦争
という解釈になるかと思います。
つまり、憲法って古典の知識がないと
正しく読めない可能性があるという事になる。
これって、問題があるように思うんです。
憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)です。
日弁連「憲法って、何だろう」より
当事者の日本国民が理解できない可能性がある文章で
憲法が書かれてあるってのはおかしいと思うんです。
私たちの世代では「古文」「漢文」と1コマずつ
だった古典の時間割は
今は「古典」として1コマに減っていると聞きました。
「国権の発動たる戦争」って解釈できる学生って
どれだけいるんでしょうね。
少なくとも学生時代の私はできませんでした。
古文が苦手のままオヤジになっちゃったから。
まずは、国民が正しく読める
現代の日本語の文法で書かれた文章に直して
解釈でどうこうできる部分を狭める事
をやってほしいと思っています。
そして、数年単位の短いスパンで
この表記で通用するかチェックする
というのも必要と考えています。
日本語は常にマイナーチェンジを繰り返している言語だと
考えるのならば、
そのマイナーチェンジに合わせて憲法の文章も
こまめに変えていって国民が理解できる文章であり続けてほしい
と私は思っています。
そういう意味では改憲っていうより改訂に近いかな。
でも、今まで解釈を変える事でイロイロとやって来ているので
いざ改訂って言ってもそれはそれで相当もめそうですが…。