お話は、K市から出稼ぎ集団と一緒にタイエアでマスカットに向かったBきゅうでございました。
Bきゅう、搭乗口では濃い集団に押しのけられ、Cクラスに現れた物乞いさんにびっくりし、Cクラスで出されたプラカップにひるみ、何も食べないまま、するすると飛行機はマスカット空港へ到着したのでございました。
何かが違うタイエア@中東
到着は沖止めで、
まず、アッパークラスの乗客から降ろされ、空港バスへ収容されたのでございました。
そのうちに、エコ側のドアもあき、エコ客も降りてまいりました。
エコ客用のバスも隣にありましたが、
こちら側にもどんどんとエコ客が入ってまいりました。
(↑そりゃ、こちらのバスは空いていたもん)
すると、わしらのバスに乗っていたアラブ風の旦那が、何ぞ、マスカット語(アラビア語?)で、空港職員をかなりどなりつけ、
そこで、エコ客はピッタリと止められて、すぐさま、わしらのバスはターミナルへ向けて、出発したのでございました。
旦那、しゅんごい。
この旦那のどなりが、びしっと決まったのでございました。
階級社会みたいでございましたな。
言葉は全くわからなかったけど、言うている内容は想像できました。
そして、その時の空港職員の対応もすばやかったのでございますよ。
Bきゅうは、旦那ににっこりありがとうをし、
旦那は、当たり前ぢゃと言う感じでございました。
差別するわけではないのですが、、、
正直なところ、
やっぱり、、、
、、
あの物乞いさんが同じバスに来られたら、、、、イヤかも。。。。
怒鳴った気持ちはわかるぞ。
さて、多くの乗客が出口へ向かう中、Bきゅう、トランスファーへと向かいました。
トランスファーのカウンターは10個くらいありましたが、ぽつんと1つしか開いてなく、そこに職員が二人。
基本的に、そこを通る人もあまりおらず、トランスファーは閑散としておりました。
さらにいえば、そこを通るほとんどの人は、すでにボーディングパスを持っており、そのまま乗り換えへ向かいました。

カウンター前に残ったのは、これからルフトハンザに乗り換える数人のみでございました。
皆、乗り換え先のボーディングパスはまだ持っておらず、ここでボーディングパスを取らないといけませんでした。
それには、空港職員にパスポートと旅程表(チェックインラゲージのタグ付き)を渡さないといけなかったのでございました。
何でも、これから乗り継ぐ、ルフトハンザのカウンターがあと20分は開かず、開いても、トランスファーのところには職員が来ないので、こうして、係員が客のパスポートを集めて、チェックインするというシステムだそーでございました。
(↑急いで出てきても、ゆっくり来ても同じだったのですう)
このトランスファーの客は、
1。赤ちゃん+小さい子づれの夫婦もの(合計4人)、
2。26歳女子
3。50歳くらいのおじさん
4。年齢不明のBきゅう
の4グループ、計7人でございました。
この7人が、何もないトランジットのカウンター前の座席で、ぼけーぼけー、ぼけーと待っているのでございますから、おのずと、いろいろ話しだすのでございました。
50歳くらいのミシガン在住のおじさんが、自然発生的リーダーになり、年齢だとか、職業などが、判明してくるのでございました。そして、交代でトイレに行ったり、Departure時刻を確認したりしたのでございました。これら7名は、皆、この乗り継ぎで、カラチから米国へ戻るようでございました。Bきゅう以外は、みな、パキスタン人または、そのハーフなようでございました。
(↑リーダー、奥さんは一緒に来なかったみたいだね。)
そして、待つこと30分以上、無事にボーディングパスを受け取ることができました。
預け入れ荷物のタグも、付け替えられたことからわかるように、
(↑ルフトハンザ便には、チェックインしてなかったわけで、そりゃそーだ。)
空港職員は乗り換え組全員の荷物をとって、タグをつけてということもしていたのでございました。
こりゃ、時間かかって当然でございました。
そして、ようやくパスポートとボーディングパスを受け取り、順番に乗り換えのセキュリティーを通っていったのでございました。

つづくで
合掌