特に意味はなく酒を飲んだから、ほどほどにね
この1ヶ月ほどかなりキツかった、まだきつい。キツいふりをせざるを得なかった。それは板挟みとも言える。
僕だけのことなら何とでも決められる。
僕のいる大手企業においては、情報セキュリティはかなりキツいところがある。
なんとかハッキングを試みたがうまくいかなかった。むしろその試みがバレそうになり冷や汗をかいた。まあ全部嘘だけど。
僕のいる企業とりわけ財務情報の開示や法人税の納付といった業務を行う責任重大な部署においては、自分勝手は許されない。
極論を言えばかなりの厳密性、性格で言えば生真面目さが求められる。それに加えてここ最近では生真面目さに加え、ある程度の思い切りや世渡り上手が暗裏に求められているのだと感じる。適当に的確に相談して周りを巻き込んでやっていく、それがきっとうまくやることの肝要だ。でも生真面目ささえあればなんとか助けてくれる、そんな雰囲気がせめてものすくいだ。
かなり厳しい、仕事が溜まりに溜まっていく。しかもどうしようもない、しょうもない仕事、僕だけのことならすぐ決めてすぐ実行するだけなのに、色々と厄介な仕事、しがらみ、そんなものが舞い込んでくる。
それを楽しむことができたらどんなに幸せだろうか。僕にはそれができない、できようがないのだ、根から。
表面税率の算出。その業務を依頼することになった。堅実に堅実に進めたいと思い提案したがあまりに堅実すぎた。
次年度に向け検討します。
僕はそういった。やっぱりそうかとも思った。でもミスが起こればまた厳しくなる。
コロナコロナ。それに想いを馳せてみれば、やはり社会の構造は同じである。冷静に見つめてみると堅実に動いている、様々な対策や自粛、そういった部分、守りの部分に傾く傾向がある。一方でその守りの姿勢そのものは保守性でもある。だからどうしても判断が少し遅くなる傾向があるのだ。つまり大胆な守りになかなか入れない傾向があるはずなのだ。そしてその傾向に対し批判が必ず伴う。その批判はどういうわけか支持される。特にインターネット上ではそうだ。
それは僕たちのなんなのだろうか。潜在意識なのだろうか。ある意味ではそうだと思う。批判することで僕たちは逃避しているのかもしれない。すなわちこれは社会の問題ではなく、僕ら自身の問題なのだと思う。僕らが変わることでしか社会は変わらない。社会やら何やらを批判しているようではどうもあまり変わっていかないように感じる。所詮僕の目に映る社会、僕の目に映る世界。それは実質的に僕(そ)のものだ。
昨日はなぜか花を買った。
特に意味もなく思いつきで。ただしそこには意味があったように感じる。この鬱蒼とした世界に花を咲かせたい。桜の咲き誇る奇妙な世界線においても確固たる花を咲かせたい。きっとそう思ってしまったのだ。
少しいいスーツを買いたいと思った。桜の咲きはびこる独特な世界線のなかでもブレずに進むことのできるように。
再び酒を飲んで寝る。そして夢を見る。夢の中でも酒を飲んで寝る。僕はそれを繰り返して、無限に繰り返して、いずれこの世界に戻ってきたいと思う。期待。
無限遠点にはあらかじめ。