「意識低い系」より「高い系」 -4ページ目

「意識低い系」より「高い系」

書籍化のスカウト待ってま~す♡ノンフィクションライターが書いているフィクションって言いたくなる物語

 この町の特徴は、店と客が同じ高さで話す点だ。むしろ、店は客より知っていることがあるので、アドバイザーとしても優秀で、覚えた客、仲がよくなった客には、家族のように温かく、夫婦げんかで飛び出したウーが行った店では、
 「ゆっくりしていきな、ビール、サービス」
ということもあった。
 「スープを作った時のすね肉だけど、捨てるのはもったいないし、甘辛く味をつけたらふりかけになるよ。肉はすごくいい牛肉使っているからね」
ということもあった。
 ウーはこの町に23年も住んでいたので、あの社長もオーナー店長も馬主も芸能人も外国人も、会えば挨拶を交わした。子どもが小学校や中学校に通っているお母さんたちも、ウーと挨拶をした。ウーはどういうわけかインターネットやテレビでひどくいじられることが多かった。近所の人はみんなウーを応援していたのだった。
 でも、この町の少し離れた場所へ引っ越すと、魔法が解けたようにウーを見ても挨拶をする人はほとんどいなくなった。町を離れるときに、
 「ウーちゃん、また会えるよね」
と言った大好きなレストランのママでさえ、久しぶりに会ってもよそよそしくなっていた。
 町全体が魔法にかけられていたんだとわかるのは、次に引っ越した先で、見ず知らずのサラリーマンに悪口を言われることや、酔っぱらったOLに「がんばって」なんて言葉をかけられたときに、気がついた。すぐ隣の町だったけど、とても雰囲気が悪かった。

 なぜ自分が離婚したばかりのウーだと知っているんだろう。
 
 悪口を発信していたのが誰だったのかすぐにわかって、この町の治安そのものが悪いという根本的な問題を解決するため、ウーのことを応援していたことを忘れなかった人たちが一生懸命解決してくれたことをウーは覚えている。

 こんなウーのことを妬んでいた人もいた。もっと早く嫉妬や、妬みを持つ人間の存在を知っていたら、ウーは引越しをしなくてもよかったのかもしれない。
 
 不動産屋に入ると、すごく背が高い日本人の男が担当になった。ウーが条件を話すと、
「あるけど今は無い。僕は東京生まれで東京育ちだから、東京の土地のことは詳しいよ。この町は重力が重すぎて、最近の傾向なんだけど、土地の価格と重力が比例し始めているんだ。この町で探すより、僕が生まれた町で探したほうがお客様には合ってると思うよ」
 ウーが脱出しようともがいても、東京自体が大きな魔法にかけられて、重力までおかしなことになっていると聞いたので、ウーはとても不安になった。
(どこへ逃げても、おかしな出来事が追いかけてくるんじゃないかしら……)

背が高い男は、おかしな出来事をウーに話し始めた。
「この間も、この辺で部屋を探しているという人が来たんだ。その人の条件に合いそうな物件があるんだけど、まだ部屋に人が住んでいる状態でね、いつ引越しをするのか家まで行って確認してきたんだけど、行って驚いたんだ。1LDKの部屋に、ミニチュアダックスがうじゃうじゃ住んでた。おれが玄関に立った瞬間にそいつらが一斉に鳴くんだよ。寄ってきてかみついたり飛びついたり、こんな小さな犬に恐怖心を覚えることがあるのかって思った。この人の次の引越し先を探してほしいって頼まれていたけど、無理だって断ったよ。どこか郊外の一軒家を探したほうがいいってさ」

 この町のお金持ちの生活は、ウーの想像をはるかに超えることがよくあるのは住んでいたときから知っている。部屋で馬を飼っている人もいた。いまさら何を驚くことだとウーは思ったが、
 「俺、余計なことにかかわって、すごく怖い目に遭ったばかりなんだ。あるお店の売買を自分の会社で請け負いたくてさ、少し無理をしたんだ。それからは、どこに行っても狙われているみたいになっちゃってさ、すごく嫌な思いをしたんだよ」
 ウーはこの男が言ったあいまいな話の意味がわかるような気がした。
 「もしかしてストーカーとか、書類の書き間違いとか、あるはずのところに無いとか?」
 ウーはあてずっぽうにそういうと、
 「そっか、だから部屋探しをしてるんだね。僕もこの間、引っ越したんだ。今日はもう時間が遅いから、明後日、午前中においでよ。特別に探しておいてやる。本当は、分譲マンションしか扱わないんだぞ、この不動産屋。でも、探してやるよ」
 ウーは、
 「どれくらいの確率で、あるかな?もう、西麻布の物件は見てきたよ」
 「ああ、あの物件、見た?あのマンションが気に入らなかったら、六本木方面になるけど、今住んでいる物件は、大きさどれくらいあるの?」
 「70へーベー超えてる」
 「マジで?どうして引っ越すのよ」
 「オバケが出るから」
 「そっか、じゃあ、この町じゃない場所で探したほうがいいよ。この町は、分譲マンションの持ち主が部屋を貸す場合なら、住めると思うけど、賃貸だと覚悟が必要」
 ウーはあきらめた。この男が勧めた町で部屋を探してみようと考えを改めた。
 レディースマンションは、この町からずっと離れた横浜よりの東京にある。ウーが行ったことも無い街だ。少し時間が早いけど、行ってみることにした。

戻りながら、さっきの不動産屋に断りの電話をした。
すると、意外な返事が返ってきた。
「もう1件、お勧めの物件があります。レディースマンションってご存知ですか?女性ばかり住んでいるマンションでセキュリティーは万全。外観も中のつくりも女性が気に入るつくりになっているデザイナーズマンションです」
 もちろん、ウーは、
「はい、ぜひ、携帯電話に送れますか?すぐ行けます?夜19時頃ですか。わかりました」
便利な時代だ。携帯電話で不動産の間取りも受け取れる。

今からだと19時まで6時間もある。やっぱりもう1軒、不動産屋に行ってみることにした。

 ウーが昔住んでいた場所にある不動産屋は、分譲マンションが得意なのである。賃貸マンションが得意な不動産屋は、少し離れた場所にある。ウーがこの町を離れるときに利用を勧められた不動産屋だった。が、あんまりいい物件を出さなかったので、ウーは、分譲マンションが得意な不動産屋で、分譲マンションを賃貸にしている物件に住んでいたのである。

 お化け屋敷に住むきっかけになった出来事を思い出した。

 あちこちから電話が来て、引越しを迫られた。引越し先まで決まってた。決めるのは自分だけど、ウーは、新しい仕事を抱えてひさしぶりに社会復帰していた矢先の出来事だった。それまでウーは人妻だったので、旦那のお金で、夜な夜なカフェに行って、近所の主婦と旦那の愚痴をぶちまけて「離婚したいねー」「うん」という話をしていたのであった。旨く離婚できたと思ったが、一緒に夜な夜な旦那の愚痴を話していた主婦とはまったく気が合わなくなった。しかもウーが離婚すると、なん人も子供を産んだのだから、この主婦のことを信用しろと言われてもお互い信用しづらいのである。

 思い出せばきりがない。分譲マンションに住み始めると、近所の主婦たちはみんな世田谷が好きなのに、ウーは、悪い主婦に騙され、パニックを売り歩いていた。小さいものを売りたいのって近所の主婦は言ってるのに、ウーが売っていたのは、悪い主婦に騙されて、大きなものを売っていた。気がつけば、いつも独りぼっちになっていた。
 ウーが離婚してすぐには遊びに来てくれた友達もずいぶんいたのに、2年もたたない間に、誰も遊びに来なくなった。
 「誰だよ、ウーを海なんかに連れて行ったのは!山にいなきゃダメなんだよあいつは!」
それでもやっと海の仕事を始めたウー。なのに、山に引越ししろってあちこちから圧力がかかった。海が無い埼玉県に引っ越した理由だった。

 駅を降りたとこにある不動産屋はビルの5階にあった。1階じゃない不動産屋にウーが行くのはとても珍しいことだった。自分の条件を用紙に書いて受付に出すと、物件を出してきた。
 とてもおしゃれな場所にある高層マンションの11階の部屋と、古くて取り壊しが決まっていると言われているけど数年は住めるという50へーベー越えの部屋だった。
 探せばあるもんだな……。
 どちらも銀座や東京駅まで自転車でも行ける。
 この不動産屋の面白い試みは、手数料が極端に安いことだった。紹介した物件には不動産屋がつきあわないのである。自分で受け取った住所に行く。鍵は電話ひとつで、マンションにいる管理会社の人間が開けておくというシステムだった。
 さらに、第一希望の間所で見つからなかった場合に備え、第二希望、第3希望まで検索して物件を出す。ウーは、横浜に近い良く知らない場所の物件もお願いした。
 
 さて、最初の物件に行ってみると、エレベーターに乗っている時間がやたら長く感じる。ドアを開けると、あちこちのドアを開けるたび、使用不可能になる機能……。例えば、トイレのドアを開けると玄関に行けないとか、風呂の扉を開けるとキッチンが使えないとか、都会の一人暮らし、超多忙人間専用の部屋だった。窓の景色は最高だったけど、なんだか畑仕事ばかりしているウーには、すぐにはなじめない部屋のように感じた。
 なによりウーは、トイレが狭いというのが嫌いだとこのとき自覚したのであった。
 トイレの床にトイレットペーパーもおけない大きさは、ウーには考えられないのである。
 

次に向かった部屋は、向かいのビルで殺人事件があったのを覚えている場所だった。ちなみに、殺人事件があった部屋もこの不動産屋で勧められたけども、
 「知らないものなんだね、ここ、昔、殺人事件があったの。現在、誰が大家さんなの?」
 新参者の不動産屋より事情通である。
 ウーが見た部屋はとても住み心地がよさそうだった。よく考えれば、この部屋に決めればよかったのに、ウーはこの時、心に迷いの神が住んでいて決断力が無かった。
 仕方なく、懐かしい街で懐かしいカレーを食べて、もう一軒、別の不動産屋を訪ねることにした。懐かしいカレーは、オフ会で出会ったゲームクリエイターたちとランチを食べたカレー屋だった。カレーもナンも食べ放題で、初めて会ったゲームクリエイターと、お腹がパンパンになるまで大食い競争したことがあった。

 ま、基本がヲタク同士なので、大食いしてもぜんぜん大食いじゃない量でおなかがいっぱいになるんだけども……。あの人たちは今も同じ会社にいるのかしら?
 良く考えれば、このマンションで良かったのに、ウーは、カレーを食べてもそれに気づかないでもう一軒、不動産屋に行かなきゃ……と、来た道を戻って別の不動産屋に向かった。
 

 翌日のウーは、東京の友達に電話をした。
 「どこら辺に住んだらいいと思う?」
 自分が住みたいと思った町に全然住めないので、友達の意見を参考にしようと考えた。

 最初に電話した友達は、
 「うちの会社から神奈川方面行の電車に乗って、東京都内というのはどうかな?埼玉県でひどい目に会ったんだったら、神奈川県方面に行けば楽しいかも」
 
 次に電話した友達は、
 「んー、昔住んでたところはどう?あれから3年たったでしょ。あるかもしれないよ?」

 最後に電話した友達は、
 「うちの近所で探しなよ。小田急線沿線は探した?あ、そういえばウーちゃんも知ってる人で、私の友達のエツコちゃんが同じころに神奈川に住み始めて、やっぱり今東京に帰りたいって部屋を探してるんだよ」
 
 「ええ?あのセレブの?」
 
 「はい、彼女もウーちゃんと同じようにオバケが出るって言ってた。なんだっけ、天井からドスンドスンって足音が聞こえるって言ってたよ。海が近くて賑やかできれいな街というイメージで引っ越したけど、すぐにお店は閉まっちゃうし、街燈も少ししかないから真っ暗って言ってた。夜がつまんないって、オバケでしょ。もういやだいやだって二人から聞いててさ、東京の隣の県なのに、二人とも、”超田舎”っていうし、隣の芝生は青く見えるっていうけど、住めば都と言うのとはちょっと違うみたいね」

 セレブでもオバケが出たのか……。家賃が前のマンションの半額だからオバケが出たと思っていたウーは驚いた。
 「もれなくオバケのサービスが付いているのかしら、今時の物件って」

 「ああ、寂しくないように? まさかぁ~、でも同じオバケという点が気になるよね」

 「はい、私は、オバケにビッグフットという名前を付けました」

 「ウーちゃんはそうやって笑い話にしちゃうけど、エツコチャンはもう不動産屋に頼んで物件を持ってきてもらってるんだって」

「やっぱセレブね、自分では歩かないで頼んじゃうのね」

「ふふふ、あちこち自分で探すのも楽しいでしょ」

「うん、明日からアドバイスをいただいた方面で探してみます」

ということで、ウーは3人が言った

○神奈川方面の東京
○昔住んでいた場所
○小田急線沿線

のぶらり、途中不動産屋の旅に出ることにしました。
 あたりはとっぷり日が暮れて、相手の顔も薄暗い午後18時。駅から歩くこと12分ぐらい。古めかしい洋館が建っていた。
 「わー、年代ものっていうか、カッコいいのかもしれないけど、できれば明るいうちに見たかった」
 「すいません。意外と駅からも歩くし、やめときますか」
 お互いなんだか疲れ果て、いいのか悪いのかも判断が怪しくなってきた。ウーは、疲れると本当に愚痴っぽくて嫌な女だ。ポジティブのポってどういう字?というくらいにネガティブになる。
 「んー、何階だっけ?」
 「3階です」
 「エレベーターは?」
 「すいません、自力で登るタイプです」
 「ああ、そう……。ラブホテルで休もうか」
 「何を言ってるんですか。ウーさん、階段登って待っててください。鍵を置いてある場所から持ってきます」
 「はいはい」
すっかりおばちゃん状態である。
マンションの外観は個性的なこの物件、できたのがバブル前の物件で、消防法に触れるんじゃないかというので、数年後に取り壊されるという話もある。なので、ウーのような引越しマニアは、この数年の楽しみを趣味にしていることもある。
 いやいや、ウーは引越しマニアではない。オバケから逃れるために部屋探しをしているのだ。どう見たってこの洋館は、お化け屋敷そのものだった。
 よっこらよっこら階段を1歩ずつ登る。1歩ずつ登る以外の方法と言えば、元気よく段を飛ばして登るぐらいだが。
 待っている間、べったり座りこんだ。あー、部屋探しってこんなに迷うものだったかしら……。こんなに頑張ってくれたお兄ちゃんの物件に決めたいけれど、どうも隣近所がやくざっぽい物件が多いし、じゃなかったらオバケっぽい物件なんだよねぇ……。
 間もなく、お兄ちゃんが鍵を持って現れた。
 「ウーさんお待たせしました。部屋に入れます」
 「おう、待った待った。どんな部屋か、確かにこのマンションの部屋は一見の価値がある気がする」
 鍵穴に鍵を差し入れるお兄ちゃん。
 ガチャ、あれ?ガチャガチャ、あれ?おっ!?

 お兄ちゃんは鍵を引き戻してじっと見つめた。
 「この鍵、このマンションの鍵じゃない」
 「ええっ!?」
 「ウーさん、見てください。最新の鍵ですよ、これは」
 ウーも久しぶりに最新の鍵を見た。横にギザギザがある鍵じゃなくて、穴がぼこぼこあいているタイプのカギだ。
 「僕、さっき明るいところで見た時は、確かにこのマンションのカギだったんです」
 「横にギザギザがあるやつ?」
 「はい、大家さんに電話して確認します」
 携帯電話を取り出し電話すると、
 「はい、鍵がちがうんですが、ええ?合ってる?合って無いですよ。この鍵は分譲マンションなどについている鍵です。えっ? ちゃんと置いた? とにかく今お客さまと一緒なんですが……ハイ…はい………。わかりました」
 大家さんは、自分が鍵を間違えるはずがないからもう一度探してみろと言ったそうだ。ウーは空を見上げた。満月だった。


 若いお兄ちゃんが狼男に変身しないように、鍵が変身したのかもしれないね……。

 んなわけあるかいっ!
 「なるほど、キミはレトロな日本のオバケが憑いているようだね。そして私にも同じく、日本のオバケが憑いているんでしょうね。洋館に住もうと思っても住めないのよ。鍵はたぶん、大家さんの勘違いというのが普通の考えだけど、大家さんの家にもこの部屋のかぎが無いのなら、鍵が最新の鍵に変身しちゃったのさ。よくあるんだ、今住んでいる場所でね、財布が忽然と消えたこともあるし、虫が鼻くそに変わっちゃうこともあるんだもん。たぶん、そのカギ、鍵置き場に戻したら、どこかの工作員が、元のカギに戻すんだよ。で、何事も無かったようになって、キミの勘違いってことになっちゃうんだ」
 「ウーさん、あきらめちゃうんですか」
 「たぶん、この場所には工作員がいるんだ。でも久しぶりに最新の鍵を見せてもらって良かったよ。この鍵が持てる暮らしをしなさいって言われたような気がした」
 若い男は、自分の知らない力を目の当たりにして、
 「小さいなー、僕は小さい」
 とつぶやいた。ウーは、
 「私も小さすぎて、イヤになるよ、やっぱり脱出できないのかな、あの部屋から……」
 ため息をつきながら、階段を下りる二人の影は、満月に笑われたように伸びたり縮んだりしてた。
 

 マンションの入り口は雑居ビルのように向こう側に通り抜けできる。1階にはどこかで聞いたことも無いような聞いたことがあるような名前の会社がある。例えば、JARとか、HHSとか、東洋陸運とか、コージーオーナーとか、何屋さんかわかるようでわからない名前で、
 「やくざ屋さんとかじゃない?」
 ウーの質問には、
 「調べてみましたが、普通の会社でした」
 これだから、最近の若いもんにはまかせられまへん。
 「兄ちゃん、やくざがやくざという看板を掲げてマンションに住んでることはおまへん」
 兄ちゃんの顔が引きつった。八重歯がぷるぷる震えている。エレベーターは2階から付いている。階段を上ると、怪しいスナックと怪しい病院があった。
 「わわっわわわ、この病院、藪っていうか無免許とか、やくざのための病院と違いますか?」
 「大丈夫ですよ、上の階に行くと、普通の人が住んでいます」
 エレベーターを待つ。
 スナックの紫色のネオンがショッキングピンクの店内のライトといっしょになるとけばけばしさがクローズアップアジアだった。
エレベーターの扉が開いた。降りてきたのは、何人かわからないカップルだった。アラブ人というか、中東的な若い男女である。
 「普通の人ねぇ……」
 お兄ちゃんは頭をぽりぽり掻いた。出だし不調である。さっきまでの和気あいあいムードはどこへやら、ウーの顔が厳しくなっている。
 「このビルの4階です」
 マンションではなく、ビルと言ったね、お兄ちゃん。
 4階の雰囲気は、シーンと静まり返ったガサ入れ前のやくざの住居風だった。ただならぬ気配に、
 「お隣さんどころか、このビルに住んでる人、全員やくざってことは?」
 「ああ、やくざがらみの店に勤めてる人っぽかったですよね、さっきの外国人。まあ、この土地柄自体、堅気の人に手を出すようなやくざはいないはずなので、むしろ安心して住めるんじゃないでしょうか」
 ご紹介の部屋は、403号室だった。大きさは今まで見てきた物件で最高で、50へーベーもある。話題にしていたバルコニーは笑っちゃうくらいに広くて、確かに隣接しているビルに忍び込める。
 「あのビルの窓があいてるけど、本当に行けるね。こんなに素敵な逃げ道がある部屋になぜ、やくざたちは住んでないのかな」
 「ウーさん、だから、やくざの物件じゃないですって!ここのオーナーさんは、昔からこの土地に住んでいる人で……」
「あー、この部屋も紐傘電気だ。この間から、言おうかどうしようか迷ってたんだけど、あなた、日本の伝統とか歴史とかくっついてるんじゃない?」
 「やーそれを言われると……、僕ももしかしたらと思っていました。僕が検索して物件を出すと、ほとんど紐傘物件なんですが、他の人が検索するとちゃんと普通の物件が出るんですよ。フローリングで壁のスイッチでライトがつくような部屋です。僕はこういうレトロな物件しか出てこなくて、何か憑いてるんじゃないかなって思っていました」
 「うん、レトロオバケが憑いている。ここで原稿を書き始めたらたぶん、大江戸捜査網か、パッチギみたいなものになると思う」
 「あ、面白そうです」
 「うーん、悪くないけど、もう少し考えさせて」
 「じゃ、次の物件に行きましょうか。だいぶ都心から離れますが、おしゃれな洋館です」
 「どれくらい離れるの?」
 「川を挟んで向こう側が千葉県です」
 「柴又とか?」
 「はい、好きですか?」
 「けっこう、遊びに行ってた」
 「じゃ、行きましょうか」
 羊羹、洋館。東京の東を極めるってかんじになってきた。

 「次の物件は、繁華街です。駅近物件で徒歩3分もかからないかも」
 若いお兄ちゃんは、自信満々だった。先に渡されていた間取り図を見て、ウーも期待していた。
 クローゼットと言うよりは押入れで、とにかく収納がたくさんある。40へーベー以上もあるし、バルコニーは部屋の大きさと同じくらいだった。
 1階には中華レストランがあって、ウーとお兄ちゃんはここで若干遅めのランチの時間を迎え、 
「食べていきますか」
「行こう、行こう」
 刀削麺がある。ウーはこの麺が大好きで、ここに決めちゃおうかな……と思い始めている。お兄ちゃんは、五目焼きそばを頼んだ。

 「中華好き?」
 「僕、食事を外で食べることが多くて、どこがおいしいとか気になります」
 「じゃあ、何か極めようと思っているグルメある?」
 「あ、あります!ケーキ屋さんでイチゴのショートケーキを買うのが趣味になっています。最初に行った物件、覚えてます?隣にケーキ屋さんがありましたよね。それであの物件がいいかなとおもって僕、お勧めしたんです」
 ウーは、お兄ちゃんの意外な趣味に感動していた。ううん、自分が好きな食べ物の近所をウーに紹介したお兄ちゃんが可愛くてよだれが垂れている。
 「ケーキ屋さんのお勧めある?」
 「はい、学生時代に発見したお店で、原宿にあります」
 「原宿? しばらく行ってない場所だな……。原宿、楽しい?」
 「もう今は、うちの会社がある周辺に凝っています。あのへん、オフィス街ですけど、ランチではおいしい店が多くて、餃子のおいしい店巡りをしています」
「じゃあ、餃子頼もうか?」
 「いっときますか」
 「でも、ランチには飲茶が付いてるってメニューに書いてあった」
 「じゃあ、飲茶で……」
 ここで宴会を開いている場合じゃない。
 「この辺て、実は刀削麺のお店が結構あるんだよ。でも、十数年前にはあんまりなくて、わざわざ浅草まで食べに行ってた。小さな店だけどちゃんと粉から練って削って鍋にぴょんぴょん麺を入れるんだ。この店は知らなかったけど、きっとここに住んだらしょっちゅう来ると思う」
 お兄ちゃんの八重歯がきらりと光る。可愛い笑顔である。
 「どんな部屋なのかな、見たことある?」
 「昨日来て、実はチェックしてます」

 なんて可愛いのかしら、素晴らしいわ~
 「期待しているバルコニーは、残念ながら、この辺が商業地域なので外に出られないということになっています。ビルとビルの間が狭くて、隣のビルにそのバルコニーから行けるんですよ。ええと、近くのビル3棟のビルの窓が開いていたら、入れます。なので大家さんがバルコニーは使用しないでほしいと言っていました。部屋は、明るすぎるくらい明るくて、ネオンまでチカチカしています。2階にも店があって、お酒を飲む店と病院もあります」
 楽しそうな場所だ。早く食べて部屋を見に行こう!

しかし、ランチにはデザートとお茶が付いていた。飲茶も付いていてついついのんびりしてしまうが、楽しみな物件だ。


 「ウーさん、ファックスありますか?」
 不動産屋の若い彼から電話がきた。約束通り翌々日のことだった。
 「あるよ、物件、あった?」
 「都心から少し離れていますが、スカイタワーが目の前です。部屋からは見えないかもしれませんが、レトロな洋館です」
 「へぇ、レトロな……」
 「もうひとつは、浅草の物件ですが、これは駅から近くて部屋は2DKです。1階に中華レストランがあって、まったくの繁華街の物件です」
 「頑張ったじゃない」
 「はい、今から送ります」
 「お願いします」
 

 翌日、待ち合わせをした。
 「何度もありがとう」
 「いいえ、これが僕の仕事ですから・・・・・。あ、あれからまた1件、物件を見つけました。今日、行けます」
 「おー、素晴らしいね」
 都内の不動産屋は、乗用車で物件を案内する会社と電車で案内する会社がある。
 このお兄ちゃんが得意としているのは、本来はオフィスや店舗物件。住宅物件は、ほとんど問い合わせが無い場所にあるので、珍しい作業をしている。
 この日、最初に向かった物件は、新しく見つけたという板橋の物件だった。お兄ちゃんを待っている間に、駅の周辺をぐるっと歩いた。路線が二つあって駅も二つある場所だった。古いお店と可愛いお店でできた町だった。特に、駅前は鯛焼きとかたこ焼きとかパン屋さんとかがあって、さすが下町方面だと思った。鯛焼きを食べながらお兄ちゃんを待っていると、地元の人に道を尋ねられた。
 お兄ちゃんは、別の駅の反対側に到着していた。いくら待ってもウーが来ないので、電話がかかってきた。
 「すいません、どっちの駅って言わなかった僕が悪かったんです」
 「ううん、おかげでこの町をぐるっと見てきた。よさそうな町だった」
 物件に向かって歩き出す。駅から5分ぐらいの場所だった。
 「このマンションの4階と5階に物件があります」
 鉄筋コンクリート11階建。築年数が浅い割に安かった。
 「まず、5階の部屋に行ってみましょう」
 5階は、落ちついた雰囲気できれいだった。でも、バルコニーから隣の部屋を見ると、しょうじがビリビリに破れているのが見えた。窓ガラスにひびが入ったままになっていて、
 「ね、お隣さん、DVがいるんじゃない?」
 オバケよりも怖い人が住んでいる予感に、ウーは首を横に振った。
 「4階に行ってみましょう」
 4階と5階の雰囲気は全く違った。4階の空気はなんだか埃っぽく、黄ばんでいるように思えた。部屋の中に入ると、なんだか汚いような埃っぽいような空気だった。前に住んでいた人の残り香のようなもので荒れている空気だった。
 「あのさ、悪くは無いと思うけど、5階の部屋はお隣さんが怖そうな人で、4階の部屋は荒れてる感じ」
 「このマンションは、けっこういいと思いますよ、僕は。5階のお隣さんが怖い人かどうかは住むと言うなら調べますが、4階の部屋よりは5階のほうがこのマンションはよさそうです」
 「うん、どうしてだろうね、この4階、廊下部分から黄色っぽかったけど」
 「なんだか汚いですよね、4階は」
 「うん、なんだかねぇ」
 「次行ってみましょうか」
 
 確かに、お兄ちゃんは頑張った。紹介する物件を見れば不動産屋が頑張ったかどうかよくわかる。今日は決められる物件があるという予感が、ウーを明るい気持ちで満たしていた。
 「引越って埃で汚れるでしょ。どうしてもお風呂に入りたくて、用意したの。換気扇が付いているでしょ。ここから血液みたいな赤い錆みたいなものがぽたっぽたっって滴り落ちてくるの。すぐに管理会社に言って業者を呼んだのよ。掃除して、部品交換して、それ、全部近くで見てたんだけど、錆びない素材で赤い汁が滴り落ちる原因になるものが全然なかった。っていうか、部品はちゃんと入居する前に交換されていたように綺麗で、たぶん、換気扇まで交換されていたのよ」
 学生を卒業したばかりのお兄ちゃんは、大人だからこんな変なことが起こるのか、ウーが少し頭がおかしい人なのか、本当のことを話しているのか、心の中で見極めようとしている。
 「玄関の靴箱、これもちゃんと部屋のサイズに合わせて作られているものだったんだけど、日に日に壊れるの。すごかった。扉が反り返って閉まらなくなるし、ネジはどこかに行っちゃうし、業者を呼んで新しく造り変えてもらって解決したけど、ウーが左利きだっていうだけで、こんなことをしてきたのよ。ねぇ、他にも左利きの人っているでしょ。左利きの人の家はみんな換気扇から血液が滴り落ちて、靴箱が壊れるの?」
 「僕はまだそこまですごいのは見たことも聞いたこともない」
 「うん、業者の人も言ってた。このマンションの全室を退去、入居でチェックしているけど、こんな部屋は無いし、靴箱を作りなおしたのは初めてだって」
 「ウーさん、お祓いをしたほうがよくないですか?」
 「うん、もう何度も神社に行ってお祓いをしているけど、おみくじを引いたら「凶」が出て、うわ、本当におみくじには「凶」があるんだって知った。もう一度おみくじを引いてもまた「凶」でね、一緒に神社に行った人も私のことブキミちゃん?って目で見るようになって、それからは喧嘩して別れた」
 「ええ?」
「駅の近くにスーパーがあるんだけど、同じようなスーパーが3軒も並んでるの。地名は、あちこちどこかにある地名でね、ほとんど観光地みたいな場所の名前が付いてる。東京にもあるスーパーに行くと、「テロリストが来ています。従業員の皆さんは、十分対応に気をつけてください」というアナウンスがあったわ。これ、インテリアを買いにあの輸入インテリアのチェーン店に行った時も、フリーで来ているお客様、食堂にそろっていますのでそちらでお待ちしています」ってアナウンスがあって行ってみると、誰もいない食堂で、こんなにお客さんがいっぱい来ていて食堂に誰もいないなんて異常すぎる……。ということがあった」
 「ウーさん、前科とかないですよね?」
 「ぜんぜん無いよ。牢屋ってものを見たことも無いし、面会に行ったことも無い」
 「嫌がらせという域を超えていますよ」
 「でしょ、でもまだまだすごかったの。ある日、外で誰か男の人が呼んでる声がしたので、バルコニーから見たら、白いジャージを着た人が立ってた。そしたらね、マンションの住人、みんな、お揃いで、白いジャージを着てたの。白ジャージの恐怖ですよ。実は、東京に住んでいた時も白ジャージを着たガラが悪そうなおじさん3人組に付け回されたことがあったの。服の趣味はいいとか、悪いとか、綺麗だとか、ブスだとか、言いたい放題言われた。あのヘンな宗教団体みたいな人たちの巣窟に来ちゃったんだって、その時わかった。財布がね、消えたこともあったの、銀行から出てきたばっかりで、家に帰る途中、忽然と消えたのよ。ポケットにはファスナーが付いているので、ちゃんとファスナーを閉めてたので落とすわけがない。かばんもひったくられずに無事、一緒に帰ってきたというのに、財布が消えちゃったのよ。他にもある。真っ白い壁にうんこのオバケが現れるの。写真があるわ、この写真……」
 「なんですか、この黒い塊は?」
 「人間の鼻くそとか目やにとかに似ている。小さなハエが、重なり合ってこんな風になった瞬間を見たことがあった。それってさ、昆虫があっという間に炭素になっちゃうほどのレーザー光線を浴びたようなことかなって考えた。ということは、微弱なレーザー光線が部屋を攻撃しているんじゃないかなって思ったの。足が腫れるとか、家電製品が漏電しているみたいとか、昆虫があっという間に炭素になるほどの微弱なレーザーが流れていたら、この異常な部屋の出来事の説明がつくと思わない?」
 「なるほど……」
「建築素材って人工的に原料を混ぜ合わせて作っているものがあるでしょ。ううん、自然な素材からでも自在に、空気中の塵や酸素から化学変化を起こす物質を瞬間的に変化させるとか、人体でもできるんだと思う。例えば、癌の家系じゃない人が、癌になる仕組みとかを人工的に応用すると、昆虫が鼻くそに変わっちゃう」
 「ウーさん、小説を書いたほうがいいですよ。小説を書いてください」
 「私、小説家じゃないのよ。フィクションの世界じゃなくてリアルな世界を描くライターなの。でも、こんなあり得ないことばかり起こる部屋ってね、フィクションは書かないって言ったから起こるんじゃないかと思うの。相手は嫌がらせのつもりはさらさらなくて、現実に起これば、いいでしょって考えるような異常な人種じゃないかと思うんだ」
「ウーさん、僕にもう少し部屋探しを手伝わせてくれますか。ちゃんとした部屋をご紹介したいと思います」
 「ありがとう」

窓の外を見ると、スカイタワーに明かりがついていた。
「ウーさん、光ってますよね」
「ほんとうだ、初めて見た。ありがとう」
「今度の物件、スカイタワーが見える物件に絞って探しましょうか」
「いいね!」
二人は、8階の戸締りをして、階段を下りた。
「明後日には、そろえられると思います」
「うん、電話ちょうだい」
 帰り道は、ひとりで帰るウーの後姿を見送る若いお兄ちゃんが、何を考えていたのかをウーは全く気にしなかった。この心の殺風景な感じに違和感を覚えたウーだった。
 (心も考え方もコントロールできるんだわ……。なんて恐ろしい世の中になっていたんだ……)
 「私が部屋探しをしている理由はね、オバケが出るからなの」
 ウーは、今まであった出来事を話し始めた。

 「引越して初日、すごい足音が聞こえてきたの。それはもう、地響きするくらいよ。窓ガラスまで振動でピシピシなったの。大変なとこに来ちゃったってすぐわかった。おかしいと思ったのよ。だってね、その部屋を見に行った日、空室ばっかりで住んでいる人のほうが少ないくらいだったのよ。入居日は確か、敷金を払って1週間後くらいだったと思う。そしたら、部屋がほとんど埋まっている状態になったの。2階に住んでいたんだけどね、3階の真上の部屋は空室だった。真下の階も空室で、うちは角部屋だった。角も角で、道路に出ても角なのよ。東のバルコニーに道路の電柱が立ってて近かった。間もなく、電柱を登って何かを取り付けた工事の人がいたわ。何を取り付けたのかわからないけど、今更なにかしらって思った。私が入居してから3日後に、真上の階に人が住み始めたの。挨拶には来なかった。ううん、待って。私、自分が入居した日、大家さんと管理会社と隣の部屋と真下の部屋と真上の部屋に御挨拶に伺ったのよ。真上の階には人が住んでいないはずなのに、菓子折りを受け取った人がいたわ。女の人だった。でも、その女の人、管理会社のアルバイトの女の子だと後でわかったの。空室を自由に出入りして遊んでいたのに、住民のふりをして菓子折りを受け取っちゃったのよ。隣の部屋にはね、すごい剣幕で無視された。耳が聞こえない人なのかもと思ったけど、その人バルコニーに行って、こう言ったのよ。「コンビニが!」って怒鳴ったの。バルコニーに積んでいたタイヤをうちのバルコニーとの隙間に積み重ね始めて、感じ悪いったら恐ろしかった。翌日、洗濯機やパソコンをつなぐサービスの人がやってきたのね。もちろん、このマンション、少しおかしい気がするって話したの。そしたら、電力会社の人が調べてくれるって勇ましく管理会社に行ってくれたのよ。そもそも、電力会社の人を呼んだのは、部屋中の家電が、ビリビリ放電しているように触ると痛かったのね。お風呂に入るのも怖いくらい、感電死するんじゃないかって思うくらいビリビリしてたの。部屋に戻ってきた電力会社の人は、「このマンション、自分が親しくしている会社にしか屋根に登らせてくれないので、僕たちができるのはここまでです。屋根が悪いですよ、このマンション。屋根に登れば、電力関係や電波環境がわかるんですけどね、解決するには、この管理会社が使っている電気工事の業者を呼ぶことです。ということがあって、電柱に何かを取り付けに来た人がいたのよ。他にもまだあるわ。インターネットが使えるようになったら、足が腫れたの。仕事を始めると、頭上に足音じゃなくて、金属音が鳴り始めたの。チャリン、チャリンってなにか鍵のようなものを落とすような音だった。なんじゃこりゃって、部屋中逃げ回ったわ。すると、ソファに行くと後から付いてきて、頭の向きを変えると、また後から付いてきた。つまり、体温を感知する装置か何かで部屋にいる生き物の居場所が分かるようなもので、頭上に音を鳴らす嫌がらせができる兵器があるんじゃないかって思った。それから間もなく、真上に人が住むようになって、それでも音は鳴りやまないし、このマンションの住民みんなが結託してお化け屋敷みたいに新入居者を苛めるようなことをしているんじゃないかってまで思ったわ」

 ウーは、ここまで話すと、麦茶をごくごく飲んだ。若いお兄ちゃんは、
 「すごいことが起こってるんですね、ウーさん、世界的なスパイか何かですか?」
 「そんなわけないでしょ。普通のどこにでもいる人ですよ」
 まだスカイタワーの明かりはついていない。ウーは、もっと話し始めた。
 「それからね、真下にも人が住むようになったの。この人たちはママと子供たちがうちに挨拶に来たの。近くにある手作りのどら焼き屋さんで買ったお菓子をもらった。とても明るくて可愛い家族。仲良くなれそうだと思った。けど、半年も住んだのかな……。火事になったのよ、真下の部屋が。真っ黒い煙が窓から見えて、非常ベルが鳴った。すぐに消防車が来て消化したけど、そのファミリーが住んでいた部屋だけ真っ黒に焦げて、他の部屋は何ともなかった。耐火にすぐれたマンションだったの。出火の原因は不明。でも、何か理由がわからないと火災保険が降りないから、子供の火遊びが原因っていうことになった。でも、火遊びをしていた痕跡は無くて、仏壇があったので、お線香をつける時のマッチが原因だったんじゃないかって」

 「ウーさんちの真下の部屋が火事になったのは怖いですね」
 「でもね、すごいのよ。真上に住んでいた私が煙にも巻かれてないのに、遠く離れた場所に住んでる人が、煙に巻かれて具合が悪くなったって、救急車で運ばれていったのよ。でね、慰謝料を支払うことになったんだって。どういうこと? 実はね、私、東京にも住んでいたことがあるんだけど、そのマンションも火事になったことがあったの。その時は、火事を出した人が払う慰謝料や被害額を思うと大変だからって、住民がリフォーム代とか、マンションの管理費を少々値上げして助けてあげたのよ。この違いって、人の心の違いよね」
 ウーは溜まっていた鬱憤を晴らすように、話し続けた。