時代は変わったと言う事ですが今は何でも豊富

 

 

 

もう今では母も施設で提供された食事を、文句言わずに食べていると思うのですが、そんな母も家にいる一時期は、好き嫌いを結構口にしていました。

 

70歳を過ぎた頃の母は、家にいる時は魚類は殆ど食べず、強いて言うと焼き魚は少しは食べる程度で、煮魚は嫌いでした。生魚(刺身など)もごく一部の魚やイカ・タコなど以外は殆ど食べない人でした。肉は比較的嫌がらず食べていたのですが。

 

元々、昭和一桁生まれの人なので私が子供の頃も、今から思えば、毎日の食卓に上る料理の品数も、一定の決まった料理のラウンドでした。まあ致し方ない事だと思っていました。

 

それでも時々、子供心に覚えているのは、NHKのテレビで放送される「料理教室」の月刊教則本が置いてあるのを、時々手に取ってみた事がありました。それなりに新しい料理のレシピを一応は考えていたのですね。

 

それが証拠に、時々出来損ないの様な食べ物が出た記憶もありました。そして見た目はそれとなく美味しそうであるものの、味は????・・・・・・、と言う様な物も一杯あった様な気がします。母は努力はしていたのでしょう。

 

 

さてそんな母でしたが、私が子供の頃はそんは「美味しくない」料理でも、無理矢理でも残さず全部食べろとうるさかったです。時に味が無く、吐きそうになった料理もありました。今でも忘れないのが、子供心に覚えている「ピ-マンの肉詰め」・・・・でした。

 

ピ-マンも挽肉も嫌いでは無かったのですが、その焼き方が半生(?)、味は殆ど無し、今ほど合い挽きミンチが良い物で無かった(?)・・・・等の理由で、一口噛んだ瞬間、何とも言えない生臭い様な不味さが、一気に吐き気を催し、嘔吐いてしまった。

 

それ以来、ピ-マンの肉詰めや、椎茸の肉詰めはしばらく食べられませんでした。まあ要するに、母のミンチ肉の調理の具合が悪かったのと、タマネギの微塵切りなどを加えなかった事、ナツメッグの様な香辛料を知らなかった事・・・・、色々と未熟な料理だったのだと思います。

 

 

「残さず食べろ」とか、「食べなかったら目が潰れる」と叱り、また米粒は茶碗には一粒でも残すな、百姓さんが一年かかって苦労して作った(刈った)米粒を捨てる様な事をしてはいけない!!。そんな教えでした。

 

ご尤もな話ですが、それが本当に子供に教育として、正しい教え方だったかは解りません。今では疑問に思う事もありますが、ただ言える事は、食物を大切にしなくてはいけない事は、多大なる教訓としてこの身に染み着いていると思っています。

 

 

まあそんな母も年が明けたら直ぐに89歳。

 

未だに忘れられない言葉はもう一つあります。

 

「美味しい料理、大好きな料理は、まず最初に食べる事。嫌な物は後でも良い。」

 

今までの話とちょっと異なり疑問に思う所もあるのですが・・・・。だって最初に好きな食べ物や美味しいものを沢山食べたら、後で絶対に嫌いな物を食べる気がしなくなる。食べなくて済むならそれが一番良いけど。

 

絶対に完食する必要がある時は、私は先に苦手な物から食べる。最近はダイエットの観点からも野菜から先に食べますがね。

 

この母の言い分は母の性分では無く、本人いわく、戦時中は何時、空襲警報が鳴るか解らない。そんなのんきな事言ってたら、食べ物も食べられないまま何日も防空壕に居なくてはならない事があったから・・・・だと言う。

 

だから好きな物から食べる・・・・と言う事に繋がるかどうかは微妙ですが、そんな時代を過ごしてきた事も事実でしょう。今の私達には考えられない世界だったから、食べ物一つにしても満足に食べられない時代だったからこそ、それが身に染みているのでしょう。

 

 

う~~ん。

 

食べ物を巡ってのあれこれ・・・・。

 

でも一つだけ言えるのは、母はもう今は・・・・今の世界に充分浸っている。って事でしょう。

 

 

 

 

 

 

リンゴりんごいちごいちご

 

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