仏前に両手を合わせる母の後ろ姿を見て

 

 

 

本来だと19日が祥月命日で、7回忌の法要を行う日。しかし親族が集まれる日は週末の土日が良いと言う事と、和尚さんのご予定もあり、土曜日に法要する事にしました。

 

そう長男の7回忌。もう丸6年が経った訳です。

 

そんな今日は、久しぶりに母をも参列させようと、施設に午前中に向かい、家内と共に母を車に乗せ、自宅に連れて帰って来ました。

 

 

久しぶりに帰宅した母は、そりゃぁ~喜びました。我が家に帰るのは1年半振りですから。

 

しかしやはりボケてはいないものの、記憶も曖昧になっており、長男より3年ほど前に亡くなっている父の事を覚えていない。遺影の写真を見せても、父方の祖父の名前を言ったりする。

 

どうして父(自分の夫)の記憶が薄いのか、しかし長男の事はすぐに遺影を見て涙を流す・・・・そんな事がこの所多くなっている。

 

それが証拠に、父の命日すら覚えていない。勿論いつ亡くなったかも記憶が曖昧。そんな物なんだろうかと、不思議に思う。結婚してから60年以上寄り添って来た夫婦だと言うのに、それよりも孫の事の方が愛おしいのか??。

 

 

仏壇の前まで椅子を動かしてやり、両手を合わせる母。しかし言葉の文言には「長男」の事ばかり。

 

それ程に孫の事は可愛がってくれていた事には間違いない。しかも若くしてこの世を去った哀しみがかなり強い事は事実。でも父の遺影を見て夫である事がピンと来ないのも不思議。

 

父は不可抗力にも医療行為の途中で亡くなった訳で、ある意味致し方なかったのですが、年齢も年齢でしたから、やむを得ない気持ちがあったにせよ、遺影が判らない、命日を覚えていない・・・・不思議なくらいです。

 

まあ私自身が覚えていれば良い訳で、今まだ元気でいてくれる母のそんな後ろ姿を見て、こうして仏壇の前で手を合わせて「南無阿弥陀仏」を唱えられるだけでも・・・・有り難いとしましょう。きっと父も、それで良いのだ・・・・と、喜んでいてくれる事でしょう。

 

 

 

 

 

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