我が家でももうこの花の満開時季が来ました

 

 

 

京都では地元に有名な寺院で、西国三十三ヵ所霊場の一つとしても有名な「三室戸寺」がありますが、この数年は伺っていません。今年はどんな開花状況なのでしょうかねぇ。

 

さてそんなこの時期に開花するのが「アジサイ」。

 

我が家でも幾つかの種類のアジサイが満開となりました。最もノ-マルな「ホンアジサイ」から、いわゆる「ガクアジサイ」まで、何種類か父の残した株が今も毎年この時期に花を咲かせます。

 

毎年この時期に記事にしていますが、この花も今年は少々開花が早い気がします。今までも記事にした何種類かの春~夏にかけての植物の事を見ても、全体的にやはり今年は開花が早い気がします。

 

さて今回はこのアジサイから、ふと思う事を書いてみようと思います。他の方も色々と似た記事を書かれていますが~~。

 

Hydrangea macrophylla

 

このアジサイには多くの花言葉があります。しかし両側面の異なったイメ-ジを持つ花言葉と感じます。

 

即ち褒め言葉の様な良い意味にとられる花言葉と、場合によってはマイナスなイメ-ジを浮かべる言葉に使われたりもします。

 

例えば、「元気な女性」、「辛抱強い愛情、(我慢強い)」、「家族(や一家)の団らん」など丈夫な植物である事や、集合花である事から付けられた言葉と言う事で、これらは内容的に頷けます。

 

しかしその反面には、「移り気・浮気性」、「高慢で自慢する」、「美しいが冷淡で無情」などと、内容的に悪いイメ-ジで使われる事が多い花言葉もあります。土壌のpHに因って花(萼)の色が変化する事から、また環境によって変化する(流される)という意味で、つけられた花言葉でしょうか。だから「移り気・浮気性」という花言葉が付けられるのも頷けます。

 

 

「あの人は移り気な人だ」と言われると悪い印象がありますし、軸がぶれ易いと言う悪い意味に捉えられやすい言葉です。

 

しかしそもそも人間という生き物に限らず、世の中の「あらゆるもの」は常に揺れ動いているものであります。それに上手く乗っかかるのも、ある意味上手な生き方かも知れません。それが出来る人は、いわゆる「世渡り上手な人」と言われる事になるのでしょうか。

 

言葉の使い方は難しく、取り方によっても良くも悪くもなると言う事でしょう。

 

 

ところで、「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」と言う言葉があります。これは、「朝言った事が暮れには変わっている事、即ちあてにならない事」と言う意味があります。

 

意味的には悪い事を言っている様に聞こえますが、自分が今日は「あれをしよう、これをしよう!!」、朝起きた時にそう思った時を想像して見て下さい。

 

あれをしようと思って行動しようとしたのに、実際にはそれを目の前にする過程で、段々と面倒になったり気分が変わって、結局は一日終わってみると全然初志貫徹出来なかった事って、今までの人生で多々あるのでは無いでしょうか。私は多々ある事です。(笑)

 

 

確かに、結果として不誠実となる、不甲斐なく思う「移り気」は慎むべきですが、「移り気」という特性や概念そのものは、決して悪い事では無いと思うのです。

 

ただ相手を伴う内容に関しては問題となる事があるので、恋愛を含めた「移り気」は問題かも知れません。(笑)

 

 

仏教にある三法印の一つである「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という教えがあります。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と、平家物語の冒頭を思い出す所ですが、ちなみにこの後には「沙羅双樹」という、仏教にまつわる樹木も出て来て、仏教思想を説法されている方もいる程、仏教を学べる文章です。

 

これをアジサイに例えると、これらの花言葉は花言葉としてあるだけで、それが良い意味であるか悪い意味であるかは、捉え方次第であり、そしてその捉え方さえも「無常」なるものです。

 

良い悪いと決めつけずに花言葉とも接してみる事が、その花言葉を生んだ意味などを知り、今の自分に活用する事も一つの楽しみになるかも知れません。

 

花言葉は本当に奥深いものなのでは無いでしょうかねぇ~~。

 

 

ふとアジサイからそんな事を回想してしまいました・・・・。

 

 

 

 

 

リンゴりんごいちごいちご

 

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