まだ私も生まれていない頃の中学校地図帳~

                その当時の地名や交通網などの珍しさに驚き





 久々に古い地図を引っ張り出して来ました。


 帝国書院発刊の「中学校・社会科地図帳」。


 それも昭和25年版の物。約数年間の製作期間を経ての出版という事で、地図上に記載されている情報は、おおよそ昭和18年(1943)頃の情報と言う事になります。それを証拠に巻末の部分を見ると、


 「昭和18年11月15日 印刷」 、 「昭和18年11月20日 発行」 と書かれていました。



 昭和18年というとまさに戦時中。そんな頃に製本作業が行われていたんですねぇ~~、驚きです。


 また昭和25年というと戦後間もない、高度成長期に突入しようかと言う頃の物です。しかも新制中学が発足して間もない頃。三年間このテキストを使う事になった最初の、学習指導要領で発刊された物の様です。


 実にその当時の価格で、165円。この当時の物価を考えてみると、コーヒーが一杯50円、タバコのピースが60円、銭湯が10円、新聞代(朝刊のみ)が70円と言う時代ですから、まあむしろそれから考えると安かったのかも知れません。


 ただ色々な書籍や社会事情を見ていると、単純比較は出来ないにしても、現在の100円は、1950年当時では1000円~1500円程度の価値があったのではないかと推測されますから、中学生が使う参考書としては、比較的高価な物であったのかも知れません。




 さてそれでは、その地図帳から幾つかの場所を見てみます。




 やっぱり私の住む京都を中心に見てみましょう。当時は京都市は日本7大都市に入っていました。と言う事で、大阪・神戸とともに市街地が赤に色塗られています。


 都市名はその当時の都市・町名が書かれています。しかも当時の漢字は旧漢字も含まれており、見ているだけでも楽しくなって来ます。「青」の文字が「靑」であったり、「福」が「福」であったりします。(笑)


 市制では沢山ある中で、昭和29年に日本では初の宗教団体名称が市名になった奈良県「天理市」が、当時ではまだ幾つかの町村のままで記載されています(山辺郡丹波市町・朝和村・福住村・二階堂村・添上郡櫟本町・磯城郡柳本町)。


 町の名前は当時のままですから、くまなく見て行くと面白いものです。今では使われていない地名や、市町村合併や統廃合が行われて失われた地名などが、そのまま記載されています。皆さんも画像を大きくして見てみて下さい。




 そこで、もう少し画像を大きくしてみました。当時は国道というものがありませんでした。


 そもそも現在の国道の路線名は、昭和27年に制定された「道路法」で、幹線に当たる国道「一級国道」につけられた路線名と、昭和28年に一級国道から分岐した国道「二級国道」につけられた番号から、順次番号付けされたと言う事になりますが、それから考えてもこの当時は、「国道」と言う指定は無かったので、地図上にも記載がありません。


 唯一、当時の国鉄路線バスの経路のみ、赤片波線で書かれています。鉄道路線も記載がおかしい所もあります、国有鉄道(国鉄)と民間鉄道(私鉄)の分類など。


 琵琶湖西岸には国鉄のマ-クがありますが、これは江若鉄道と言う、当時は近江~若狭へ繋ぐ国鉄買い上げを想定された民間鉄道路線でした。しかし昭和44年(1969)に全線廃止になっており、今ではその路線跡の多くが、JR湖西線になっています。


 また北陸本線も柳ケ瀨越を通っており、敦賀から先も北陸トンネルがまだ無い時代の路線を通っています。中舞鶴線(京都府)や高砂線(兵庫県)も、まだ描かれています。



 さてそれ以外にもこの地図をずっと見ていると、この時代の色々な面白い点が発見されるのですが、キリがないのでこの辺りにしたいと思います。またまたこの地図帳から他の地域も何度かUPしたいと思います。






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