「草加宿」の中でも最も古いお寺??
「松壽山・東福寺」にてしばしの歴史ロマン堪能
前回の歴史ロマンで記事にしました日光街道「草加宿」の、街道筋にある寺院「松壽山・東福寺」。
東武鉄道伊勢崎線・草加駅から歩いて約10分にある寺院で、正式には松壽山不動院東福寺と言います。真言宗智山派の寺院。今回はその東福寺にのみ焦点を当ててご紹介します。
この東福寺は、草加宿の祖と言われる「大川図書」により、慶長11年(1606)に創建されたものであり、僧・賢宥(けんう)が開山したと言われています。
旧日光街道筋から約100m前後の参道を入って行くと、下写真の様な山門が見えます。
しっかりした山門です。年代は判りませんが、昭和52年(1977)に草加市の「市指定文化財」に指定されました。ここから東福寺への参拝開始です~~。
この山門は、表の柱間十尺、妻八尺五寸の棧瓦葺四脚門で、江戸時代の木割書によって造営されていますが、一部手法は、桃山頃になった木割書「匠明」と規を一つにしているとの事です。
その山門をくぐって入るとすぐ左側に鐘楼が見えます。(下写真左)
この鐘楼は柱間2.7mの方形です。石川流の絵様を基本とし、彫刻自体は江戸に近い関係もあり、当時としては大変優秀な技法が見られます。文久2年(1862)の再造立の刻銘が基壇にありました。
そしてその直ぐ奥には、「三鈷の松」がありました。残念ながら、説明の木製看板があったのですが、剥げていて文字を読み切る事が出来ませんでした。三鈷というのは中国の地名の様です。
さて正面に見えるのが「本堂」。立派な佇まいです。
この本堂の外陣には、江戸の名工「島村園哲」作の、3枚から成る見事な彫刻欄間があります。中央には仏教の守護神である竜の、1.73mもある大きな彫刻で構成されています。
竜そのものは水に縁のある空想の動物で、これは伽藍を火難から守るという願いも込められている様です。
さて、この東福寺を創建した「大川図書」ですが、小田原の北条氏に仕えていましたが、天正18年(1590)には、小田原城の落城によって素浪人となり、その後は岩槻城主であった太田備中守のもとで年月を過ごす事になりました。
徳川家の天下統一の際に谷塚村に移住する事になり、さらに現・松江近辺に住む様になって、草加宿や東福寺の建設に力を尽くしたとの事です。(草加市教育委員会)
そして、本堂に向かって右側には「延命地蔵尊」があります。(下写真)
この「延命地蔵尊」の前には、「持ちあげ不動明王」と「ふれあい仏足石」がありました。
なんでもこの「持ちあげ不動明王」は、「明王の下に手を入れ、足形の上に足を乗せ持ちあげ、諸願成就をお祈り下さい」・・・と書かれています。もちろんやって来ましたよ。諸願・・・はナイショですが(笑)。
そして「ふれあい仏足石」ですが、かなり大きな足形ですよね。
「この仏足石を拝みに来る人は、過去の長い間の罪までも消滅する」・・と言う功徳がある様です。決して上には乗らない様に・・・そして手で触って拝む・・・と良いらしいです。
今回の東福寺は、日光街道「草加宿」探訪の途中でした。このところ、ゆっくりと社寺仏閣を拝観する事が出来ていなかったので、しっかりとこちらで霊験を戴いて参りました。
出先でふれ合う事が出来る社寺仏閣も、そう多くはありません。今回は時間は短い中でしたが、この草加市の古い町並みと、由緒あるお寺に参拝する事が出来て光栄でした。
旧街道ウォ-ク・・・好きです。
りんごいちご