大和は国のまほろば・・・・

万葉の時代から詠われた馬酔木・・さだまさしの世界では・・?!


 奈良公園から飛火野を越えて、万葉の昔の古道、「山之辺の道」を歩くと、数多く見られるこの低木、

「馬酔木」・・・あせび、とも、あしび、とも読む。今最も花が綺麗な時期です。今回も満開に近い木が

ありましたので、ちょっと写真にしてみました。


               吹き抜ける風と太陽を浴びて・・・心の行くまま流れるまま・・・


 白い花が殆どであったけれど、時に壷状の花の先部分のみ、薄ピンク色のものもある様です。

本州以南の低山に自生している常緑樹ですが、万葉の時代から観賞用としても、庭木に植えられて

いた記録があるんです。クラヤノトキシンⅠを含む毒草で、馬が食べると酔い苦しむと言う所から

命名されたとも言われている様です。


    「わが背子に わが恋ふらくは 奥山のあしびの花の 今盛りなり」   (万葉集)


 いくつかある、万葉集の中で、私はこの詠が一番好きです。               


 で、今回この馬酔木を記事にする際、ちょっと面白い契機で記載する事に決めたのです。それは、

最近、ちょくちょく覗かせて頂いているブロガ-、浩志さんのブログ(http://ameblo.jp/hiroshi8-9/

に、かなり影響を受けまして、(浩志さん、勝手にリンクさせてすみません)今回は気になる、ある曲の

歌詞から、この内容に辿り着きました。


 それは、さだまさしさんが、1979年に発表された、「まほろば」・・と言う曲にあるんです。「まほろば」

とは「まほら」から来た言葉で「まほ」が接頭語、「ら」は、ところを示す言葉であるという。国の起源とか、

発祥地という事になるそうです。そこで、ちょっと歌詞を見てみましょう。


   春日山から 飛火野(とぶひの)辺り  ゆらゆらと影ばかり泥む夕暮れ
  馬酔木(あせび)の森の 馬酔木(まよいぎ)に  たずねたずねた帰り道



  遠い明日しか見えない僕と  足元のぬかるみを気に病む君と
  結ぶ手と手の虚ろさに  黙り黙った別れ道



  川の流れはよどむことなく  うたかたの時 押し流してゆく
  昨日は昨日 明日は明日  再び戻る今日は無い



  例えば君は待つと  黒髪に霜のふる迄
  待てると云ったがそれは  まるで宛名の無い手紙




  寝ぐらを捜して鳴く鹿の  後を追う黒い鳥 鐘の声ひとつ
  馬酔の枝に引き結ぶ  行方知れずの懸想文(けそうぶみ)



  二人を支える蜘蛛の糸  ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
  君を捨てるか僕が消えるか  いっそ二人で落ちようか



  例えば此処で死ねると  叫んだ君の言葉は
  必ず嘘ではない  けれど必ず本当でもない



  日は昇り 日は沈み 振り向けば  何もかも移ろい去って
  青丹(あおに)よし 平城山(ならやま)の空に満月


 この歌詞・・・めちゃくちゃ素晴らしいと思いませんか?。さだまさしさんの歌詞は結構、文学的にも

完成されたものが多くて、この歌詞にも意味の上で「かけことば」や、古い歌集の言葉などが多く散り

ばめられています。

 特にこの歌詞の中で、「馬酔木」と言う文字を、最初は「あせび」と読ませて、次は「まよい・ぎ」と読ま

せるところ、しかも「迷う」と言う言葉まで掛けている素晴らしさ。そして京都・伏見・日野に庵を構えた、

鴨長明の有名な「方丈記」に出て来る言葉を、上手く噛み砕いて、掛けた歌詞部分など、素晴らしいで

す。


 さだまさしさんの歌詞には幾つか、「昨日」・「今日」・「明日」・・・と言うモチ-フが至る所で使われて

いますよね。「再び戻る今日は無い」・・・素晴らしい表現です。さだまさしさんの曲の中には、この

モチ-フを使った曲がかなりあって、たとえば「飛梅」の中に、心字池に掛かる三つの赤い橋・・・でも

表現されています。また、「昨日・京・飛鳥・明後日」・・・と言う曲もありますよね。


               吹き抜ける風と太陽を浴びて・・・心の行くまま流れるまま・・・


 いずれにしても、この「馬酔木」と言う木・・・。この花を毎年、見る度にこの曲のフレ-ズが蘇ります。

そんな思いで、歩いた「北山之辺の道」でした。山之辺の道は、奈良県天理市~桜井市までの間が、

有名ですし人も多いのですが、この“北”山之辺の道は、奈良市~天理市までを便宜的に言うらしい

のですが、こちらも結構楽しめるコ-スだと私は思います。このコ-ス自体は、また機会があれば

アップします。