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バンコクの日常

バンコク長期滞在者のどうでも良い戯言です。

丁度その頃、私は通っていたタイ語学校の教師のツテでとある日系会社に就職する。全くタイで外国人が働くことの規制とか法律が分からなくて理解していない状態のままお世話になった。

 

まあ、将来的にはタイで就職出来れば良いなあと漠然と思っていたので、タイ語勉強が終了して、働くこともせずに毎日ダラダラと過ごすよりは何処かで働いた経験がある方が有利ではないかとの考えで勤務したのである。

 

勿論、給料はタイ人並みの額である。自分の考えでは金額よりも経験が欲しくての決意であった。社長は日本人の方であったが、会社の方針で将来的にも給与は多くても〇バーツ位だよ。と言われた。勿論その〇バーツは法的に日本人が貰う給与の最低金額には届かない額であった。(但し、その頃は私も法的に詳細なことは知らずにいた。)只々、滞在する為の労働ビザと労働許可書の手続きをすることを望むばかりであった。

 

でも、結局2年弱勤務したが、それらの望みが叶えられそうもないし、流石に給与がタイ人並みに安かろうが不法労働に違いないので退職した。その会社は責任者にタイ人を於いていたが、会計処理をそのタイ人の身内に任せていたが、その身内が徐々に会社のお金を横領していたみたいで、結局は潰れてしまったようであった。

タイ滞在について前回にツーリストビザと学生ビザで合計3年位過ごしていたことを書いたがそろそろ別の方法を見つける必要となった。もちろん、その期間は働くこともなく日本で働いて貯蓄していた預金を取り崩して自身の生活費と約束した彼氏への援助金を賄っていた。

 

そろそろと資金面とタイ滞在のビザについて考える必要があった。幸い大学へ通っていた彼氏が丁度無事に卒業となった。晴れて彼を援助する義務を果たしたのである。私はそのことを彼に告げてこれからは自分で生きる糧を見つけるように言った。

 

彼は大学で学んだことを活かした職業に就きたく色々模索していたが、なかなか難しいみたいで悩んでいたが、最終的には全く大卒という資格が必要もない職についた。元々以前に働いていた関係の知り合いが某都市で店を開店することとなり、そのスタッフを募集しているので手伝って欲しいとの依頼があり、そこへ行くことになった。

 

彼はその時には30歳を超えていたので単なるウェイターとかボーイとかの地位でなくて大学も卒業しているのでマネージャーみたいな形であった。まあ、私とは離れ離れにはなるが彼の選んだ道であり反対はしなかったけど、正直私は捨てられるような気持がなかったわけでもなかった。

タイ滞在するにはビザが必要であるが、そのビザについて語ろうか。私がタイ語の勉強に来たのは20年も前になる。20年前なんてタイってビザがユルユルな感じだった。ユルユルと言っても有効なビザが必要であるのが前提である。

 

多分、私が日本で最初に取得したビザはツーリストビザであったと思う。シングルのツーリストビザであったと思う。ツーリストビザの場合はタイに入国後は入国してから60日間は滞在出来る。そして、イミグレーションへ行き、1か月間延長するのである。

 

それで延長した1か月が終了するとタイ国外に出て行き、私の場合はマレーシアのペナン島へ行き、新たにツーリストビザを取りに行った。ビザ取りのため飛行機では行かずにタイの国鉄を利用して寝台列車でマレーシアのバタワースまで行き、フェリーでペナン島へ行った。

 

でも、ペナン島のタイ領事館はビザの発行がやや厳しくなって来てビザの発行を控えてるみたいな情報もありで、次回からはペナン島は止めて、マレーシア東部のコタバルにあるタイ領事館へビザを取りに行った。

 

流石にその頃はツーリストビザの発給については制限がある感じなので、タイ語学校に手紙を書いて貰って学生ビザを取りに行った。学生ビザの場合はタイ入国から3か月間は滞在できるので、実際タイ語学校にはきちんと行っていたので3か月毎に学校に手紙を書いて貰い、周辺国へ学生ビザを取りに行った。

 

マレーシアのコタバルへ何度か行くと矢張りビザ発行の上限に引っかかるので、新しくビザ取りにラオスへ取りに行くことなる。何かそんな感じで3か月毎に気分転換も兼ねて他国へ旅行がてら行ったのである。本当にあの頃は時代が良かったなぁと思う。