間違わないでほしい
なぜ誤ってしまうのか?
ではなく
なぜ謝ってしまうのか?
である。
このところ某氏の謝罪などの動画が話題になっている。
私はこの謝罪は問題だと思われる
生活保護やホームレスに対し暴言を吐いた某氏
しかし私はそのこと自体を不快に感じるというより
謝罪をするべきではないというスタンスにある。
自分は先にも書いた通り
人生に一度は生活保護をというスタンスだ
要は生活保護が人生の一つとしてある世界が健全であるというのが
私の考えなのだが
彼の言動には怒りなどは一切感じない。
自分も兼ねて無用な人は生きるべきでないと書いたので
考え方の根本が同じだからそう感じるんだろうと取る人もいるだろう。
そういう話ではない。
謝罪の問題だ。
なぜ謝罪をする必要があるのか?
というよりも謝罪をしてしまうことで返って
割れ窓理論を活用してしまう人々をいい気にさせてしまうのだ。
あいつは謝ったのだから悪であるとレッテルを貼り
ここぞとばかりに叩く人が出てくる。
それは見ていて本当に不愉快でしかない。
実は人生に謝罪などは必要ないのだ。
なぜか謝罪なんてものは基本わかっていない人がするものなのだからだ。
謝罪の向こう側にあるのは赦しである。
ということは赦しを求めるために謝罪をするのだ。
だから謝罪は基本すべきでないというのが考え方だ。
重要なのは謝罪より行動なのだ。
その先に行動が変化することが重要であり
謝罪をすることを目的とするのはおかしいといえる。
本当に不愉快であるが
池袋の交通事故を起こしたあの人物。
一切謝罪はしない。
しかし不思議なことにそれを通そうとすると
逆にあえて触れなくなってくる。
中には彼の方が理路整然としていると
彼の味方になるものまで現れる。
もちろん裁判は結果である。
だから裁判官がどう判断を下すか
というのは別物だ。
しかし自分に責任はないということを信じているなら
それを通してもかまわないというのが法律の考え方である。
当然ジャッジはわからない。
下手な謝罪に踏み切れば当然対抗馬が浮足立つ。
バカな謝罪がバカを誘発するということになりかねない。
なので下手な謝罪ではなく
ちゃんとした実感を得たうえでどうするのかを考え行動することが重要なのだということだ。