誹謗中傷
なんだか次々と芸能人が亡くなりますね。
原因は誹謗中傷だとか...
なるほどわかる気がします。
しかしちょっとまてよ?
ともおもいます。
本当に原因は誹謗中傷なのでしょうか?
たしかに誹謗中傷は酷い。
そこまでする必要があるのか?
そこまで発言する必要があるのか?
というのはあります。
しかし芸能人のみならず
生活をしていれば多かれ少なかれ誰からか陰口の一つもたたかれることはあるはずです。
陰口を知らされた際誰もが一度は傷つくはずです。
そして他人を信じられなくもなります。
でもまてよ?まってくれ...
その耐性の強さって人それぞれですよね。
ちょっとした言葉でも大いに傷つく人もいるし逆にさんざん言われているのにどこ吹く風の人もいます。
慣れというのはあるのでしょうが...
この誹謗中傷という意味で言えば
その言われた側が誹謗中傷だと思えば誹謗中傷なんだという理論も成り立ちますが
それも逆に言えば横暴な話だと感じます。
当然体調から些細な事で傷つくという面もあります。
寝不足がそれに起因するなんて例もあるでしょう。
しかし今回はその医学的見地から少し外れて話をしてみたいと思います。
どこからが誹謗中傷でどこまでが単なる意見や感情の表現とすべきかの線引きが難しい。
もちろんポジティブな物言いというのはありますがそういう表現ができない人も確かにいるわけです。
それは言葉のどこを取って誹謗中傷と判断するかにも似ています。
誹謗中傷する側の心理は色々と考察されていますし段々明らかになってきています。
それはその通りだと思うのですが
逆にでは被害を受けてしまう側の心理はどうなのか?
そちらのほうは全く考察されていません。
なぜなら自殺という極端な行動に出てしまうので
死人に鞭打つ行為はしたくないという心理から
その考察をためらってしまう人が多いからではないでしょうか?
しかしそれをタブー視してしまうと
救える命を救うことができなくなってしまうのではないかと思います。
なのでここではあえてタブー視される
傷ついてしまう側の心理について考えてみたいと思うのですが...。
傷つく人と傷つかない人との差というよりも自分に対して攻撃してくるような言葉を無視できる人(または削除したり非表示したりできる人)とできない人との差はどこにあるのか?
かくいう私も誹謗中傷受けることもあるし、私が書いた内容を誹謗中傷ととらえる人もいます。
今回は誹謗中傷だと受け止めてしまう側の心理なので書いた側の自分ではなく
受けた側の自分として考えてみます。
私が同じような言葉で罵られたとして
傷つく場合と傷つかない場合 何が違うのか?
傷つかない場合:
相手に意図してそのように言わせている場合。
傷つく場合:
相手に意図せずそのように言われた場合。
うーん 複数上げる予定でしたが結構シンプルになってしまった。
相手が喰ってかかってきても構わないという状況の際には傷つく確率が低い。
対してこちらはいいことをしていると感じている、感謝されて当然と感じている、または自分が結構できたほうだと感じてる場合は
傷つく率が高い。ということがなんとなくわかります。
さてでは傷つく率が高い時を掘り下げていきます。
こちらはいいことをしている
感謝されてもいいと思っている
自分では成功しているとおもっている
行為
これをしているときにふとした言葉によってその努力が瓦解してしまうことがあります。
なるほど
もしかしてそれって自分自身がやりたいと思ってやっていないときなのではないのか???
昔 とある芸人が
笑わせるのは好きだが笑われるのは嫌いだ
といっていたのを思い出しました。
笑わせるのも笑われるのも同じ笑いではないか?
でも自分が意図して笑わせるのならそれは大いに自分の身になるが
自分が意図した行為でないところで笑われるのは自分の尊厳を傷つける
ということ...
まさにそうなのだと感じます。
ということは
傷つくときというのは
もしかしたら自分の本意で動いていないときが多いのではないか?
良かれと思っている行為
特に良かれと思って自分が率先して行う行動についての批判に
傷つくのではないか?
ということになる。
そう自分がしたいと思っていない行為でやってやっているという感じを持っていた時にそれをズバっと指摘されたとき
傷つくのではないでしょうか?
中には
いややりたいと思っていた行為でした
と答える人もいると思うのですが
ジャンルとしてやりたいと思っていたことでもいつの間にか本来やりたい事から逸脱しているときもあるはずです。
周りからすごい凄いとおだてられた記憶からまたおだてられたいとおもってやりたい行為になっていなかったか?
ということです。
傷つくとき
人間の体の反応というのは
その体が何かを欲しているときなのです。
体調がすぐれないときはゆっくり休めというサインです。
ならば心の動きももしかしたら自分の欲するものを理解するための装置なのかもしれませんよね。
よく妬ましい気持ちというのは自分が欲しているものを察するシグナーだといいます。
誰かを妬ましく思ったときそれはその相手の持っているもの、持っているんじゃないかとこちらが勝手に思っているモノ
を実は自分自身が欲しがっているものだといいます。
しかしそれを抑え込もうとすると誹謗中傷が出てしまうとも言います。
では誹謗中傷を受ける感情としては
その逆なのではないでしょうか?
そう自分が持っているモノが実は自分が欲しているモノじゃないと感じたときに受けたふとした言葉に傷つくのではないか?
ということです。
本当にしたいことをしているならだれが何を言おうと聴く耳なんて持つはずがありませんよね。
心の動きとは実は自分自身を知るためのシグナル
そうなのではないかと思います。
もし何かに傷ついていた人を見かけたら
「今あなたがいる位置は本当にあなたが望んだ場所なのですか?」
と問うてみるのもいいかもしれません。
そしてそこからいなくなったとしても負けではないと投げかけてみるのもいいかもしれませんよね。