何かを学ぶ、何かの知識をつける。
学びとは人の喜びであるし、知識をつけることから見える世界は知識の無いときに比べその違いは大きいのです。
ところが...
その知識をつけるというのが何か理解している人は何人いるのでしょうか?
小学校、中学校、高校、大学と私達は学びます。
世の中には学歴なんて関係ないなんて人がいますし
逆に学歴こそ重要だと感じている人がいます。
その中には色々な意味が含まれているはずです。
学歴というのが一つの指標として捉えられることもあるでしょう。
そして学歴を重要視していない人においては学歴よりも経験という考えを持つ人もいるでしょう。
しかし学ぶというのはどの人生においても必要なことであるのは学歴重視でない人も理解しているところでしょう。
では勉強とは何か?
学ぶとはどういうことなのか?
そうそれを理解するには一つの言葉の意味を知ることが必要です。
それは...
馬鹿
です。
馬鹿とは馬と鹿です。これは馬と鹿の頭が足りないということを意味しているのではありません。
馬と鹿の区別がつかない人のことを指す言葉なのです。
馬と鹿くらい区別つくよ~って言いたくなりますよね。
当然です。その区別がつかない人がいたらあなたはどう思いますか?そう馬鹿だな~って思うわけです。
馬鹿とは区別のつかない人のことを指すのです。
そう違いのわからない人を指すわけです。
そうなのです。学ぶ勉強をするとはどういうことかと紐解くと違いのわかる男になるかどうかということになるわけです。
日本人のワイン好きはなかなかなものです。
フランスやイタリアの高級ワインを楽しまれる方は随分いらっしゃると思います。
中には十万二十万という超高級酒に舌鼓を打つなんて人もいらっしゃるでしょう。
ありがたく飲んでいる方々が多くいるのです。
しかしあなたはその超高級酒と一般のぶどう酒との違いがわかりますか?
飲み比べて一発でこちらのほうが高級と解りますか?
多分、ごく一部の人を除いて、それら高級酒の味などはわからないはずです。
殆ど味などわからない人たちが高い金額をおいしいおいしいと飲むのはそれを見ているだけで馬鹿だな~って笑ってしまいますよね。
さて学び勉強というのは違いがわかるという要素に加えてもう一つ 短縮という意味合いがあります。
言葉だけではありません。数学でもそうですが短縮し単純化するというのは大きな命題なわけです。
例えば 「一昨日 祖母がおはぎを持ってうちへ遊びに来た。」という言葉があります。それを少し変えてみましょう。
「今日の前の前の日 母のお母さんが米をすり潰して丸めて蒸したものにあんをまぶした食べ物をもって僕達家族が住んでいるところに世間話とか色々しにやってきた。」となります。
話は通じますが長いですよね。でも一昨日、祖母、おはぎ、遊びという言葉の意味を知っていれば短い文章で話が通じるわけです。
そう勉強、学びとは長くて回りくどくなりがちな言葉や文字数字を短くしかつ解りやすくしていくということでもあるわけです。
これは上記の馬鹿のように違いを理解するというのの発展系ともいえます。
経験でももちろんそれらは身につきますが、一つ一つ経験をしていくには相当時間がかかります。
だからこそ学び勉強するわけですね。
人生は勉強だとよく偉人達は言います。
それは学校を卒業しても色々なところでやはり違いを知り、言葉を端的にするということを求められるからでもあると思われます。
さぁ皆学び勉強しましょう!