※今回は、チベットを語る上で避けて通れない「死」についての話題が混じっています。
不快に思われる方はご注意くださいませ。
ニラまんを食べながら、僧坊の仏壇に飾ってある、
ダライラマ14世の写真に気づきました。
kame「ダライラマ…飾っていいの?確かラサではダメだったような…」
(どうやら政府が禁止しているみたいでした)
ドージー「ここでは大丈夫です、そうなるまでに2人のチベット族が
犠牲になってしまいましたが…」
kame「犠牲ってどういうこと…?」
ドージー「ダライラマの写真を飾るのは以前この地域でも禁止されていましたが、
それは耐えられないと、2人の男女が抗議の為に焼身したんですよ…。
驚いた政府がこの辺りでの禁止を解除することになりました。
私達はその2人のおかげで、こうしてダライラマを拝むことができます。
彼らの死は、非常に意味があったと言えるでしょう」
kame「…」
ドージー「彼らはきっとすばらしい人に生まれ変わったはずです」
kame「人は生まれ変わるの?」
ドージー「そうです、ただどのように生まれ変わるかは
現世の行いによって決まります。
どれだけ功徳を積んだのか、どれだけ悪行を働いたのか。
少なくとも私達チベット族はそのように考えています。
だから、死よりも、現世より悪い人や動物に
生まれ変わることのほうがずっとずっと怖い。」
ドージー「だから私は僧になりました。」
ドージーの話は続きます…
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チベット族の焼身に関するドキュメント映画「ルンタ」(2016年)
残念ながら私の住んでいる国では絶対に放映されることはないので
まだ見ていません…。
チベット族の心の奥が見えるそうです。ご興味のある方は是非どうぞ。
ブログ名にもなってるけどルンタって何?と思った方はこちらをクリック