東京都写真美術館のコレクション展「不易流行」は5人の学芸員がそれぞれ異なる視点で選び構成した5つのチャプターからなる展示だそうで、それぞれ企画者の名前も入っています。
ヨーロッパや日本の最初期の写真なども多数ありますが、現代もの中心にいきます。
第1室「 写された女性たち 初期写真を中心に」(企画:佐藤真実子)
最初は西洋絵画同様に、写真の被写体は圧倒的に女性です。
ジュリア・マーガレット・キャメロン《シャーロット・ノーマン》
写真初期ではかなり珍しい女性写真家で、女性や子供の肖像を中心に撮ったジュリア・マーガレット・キャメロン。このあたりはまだ絵画の延長のようです。
ポール・ストランド《ブラインド・ウーマン》
これは写真の「ありのままをリアルに」撮る特性を使った肖像写真。隠し撮り的な写真だそうです。
アウグスト・ザンダー《清掃婦》《農民の妻と鉱夫の妻》
この時代の肖像写真といえばアウグスト・ザンダー。「時代の顔」シリーズでは小道具や背景などの演出的なものは使わずに、それぞれの職業や地位や境遇がわかる写真を多数撮ったのでした。
黒川翠山《たきぎを負う女》
水墨画のような画面の中に働く女性、ミレーの描く農夫/婦を思わせます。ずいぶんこの写真美術館に来てるけど、これは初めて見ますね。
オノデラユキの初期の《古着のポートレート》は変化球。クリスチャン・ボルタンスキーの古着を集めたインスタレーションからの発想だそうです。ホロコーストを表現した作品から「個」を取り出して生に昇華させています。
山本彩香《We are Made of Grass, Soil, Trees, and Flowers》より
この作家は初めて見るかな、作られた女性らしさとは異なる透明感のある美しさを編み出しています。
企画が女性だからかヌードなど性的な女性の写真がないですね。
第2室「 寄り添う」(企画:大﨑千野)
次のチャプターは寄り添うがテーマ、石内都の《mother's》は自身の亡くなった母の残した品々のアップ。
拡大して細部まで見せることで手触りまで感じさせます。
大塚千野の《Imagine Finding Me》は母娘の写真のようですが、作家の子供時代の写真に大人になった自分の姿をデジタル合成したシリーズ。
過去の自分の記憶に寄り添う自分と現在の自分を見る視線が交差します。
片山真理《子供の足の私》
義足のアーティスト片山真理の作品は何度も見ていますが、今回説明読んで驚いたのが、セルフポートレートを撮っているという意識はなくて、マネキンの足や靴や衣装を見せるための道具くらいにしか考えていないそうです。自意識の強い人かと思ってましたが逆で、それ知ると見え方が少し変わります。
第3室「 移動の時代」(企画:室井萌々)
3つめのチャプターは移動、次回にしようかと思ったけどここでもインパクトの強い女性の写真があったので載せておきます。
ドロシア・ラング《移民の母、カリフォルニア州ニポモ》
赤ん坊を抱いた母親の不安そうな表情、記録写真ではありますが紛れもない心を打つ、瞬間を切り取ったアート。
江成常夫《花嫁のアメリカ》より
ここでの移動は場所の移動ではなく家から家への移動、まだ結婚イコール「嫁入り」だった時代の女性たち。
今回はここまで。