森美術館「ロン・ミュエク」の続きです。


                                                《舟の中の男》
かなり汚れたポンコツなボートに乗っている全裸の男性、オールも舵もないので漂流しているのでしょうか。腕を組んだ男性はやや前かがみ気味で何かをのぞき込んでいるようです。何か身に着けていれば船員や水兵や漁民などわかるのですが、社会的な属性がないので状況が全く想像できない、白人だから難民でもないでしょう。やや前かがみの男性はそんなに遠くを見ているわけではないようで、それが何なのは見る人各々が想像してください、ということなのでしょう。


                                            《チキン/マン》
またまたシュールな状況です、パンツだけの椅子に座った老人がテーブルの上の鶏と対峙しています。少し身を乗り出した老人が拳を握り、鶏と敵対しているようです。
      
よく見ると、じっと鶏を見つめているのではなく視線は少しずれていて、もう少し遠くを見ているのかもしれません。英語のチキンは「臆病者」とか「弱虫」という意味の俗語でもあり、もしかして老人は過去の自分の「チキン」的な記憶と裸で向き合っているのかも。

     
            《買い物中の女》
実物の2/3くらいのサイズの女性が両手に袋を下げて立っています。胸には赤ん坊、女性は疲れたような憂鬱な表情で前を見ています。これを単純に「育児疲れ」で片付けちゃいけません、
     
赤ん坊はじっと母親を見つめているのに、母親は遠くの何かを見ていてそれに答えてあげることができません。両手も塞がっているので、なでるなど子供のために使うことはできません。「社会」のあれこれが個人的で親密なコミュニケーションを阻害している、ということでしょうか。

     
              《マスクⅡ》
《ダーク・プレイス》と同じくらいのサイズの男性の顔ですが、1/4くらい欠けています。《ダーク・プレイス》は暗くて近づけないので細部までわからなかったのですが、
     
これはわかります、ひげ剃り跡までリアルですね。《ダーク・プレイス》は近くで見られない不自由がありましたが、《マスクⅡ》では顔の欠けた部分が見えないのは気になりませんね、つまりそこにあるものは「常識」でわかっているから。大きさには違和感を感じますが、欠けていることには違和感を感じない、という違和感。

次の展示では、またロン・ミュエクのアトリエと制作風景の写真です。
     
これは椅子と合わせて並べて展示する完成品なのでしょうか、それとも組み合わせるのかな?
     
巨大な犬を描いています。年表の写真に完成品らしい展示風景がありました。
     
これ見たかったなあ。
     
これも年表から。大きさはどのくらいなんだろう、迫力があります。


            《マス》
最後は広い展示室に100体あるという巨大な頭蓋骨です。

やはりリアルに作られていますが、実際の骨はここまで真っ白ではないですよね、これだけの量に彩色するのは無理でしょうけど、白い清潔な感じは違和感があります。

展示室に入るとすぐに大きさと量に圧倒されるのですが、歩いて見ているうちに違う感覚にとらわれます。

あまりにも雑に置かれ積み上げられています。《マス》は展示のたびに作者本人が配置を決めるそうで、つまり意図的な雑な配置も含めた作品。まるで生命をぞんざいに扱っているようです、私はこれを、ホロコーストのような大惨事の跡のように感じました。

展示作品数は少ないですが、かなりレアで見ごたえのある展覧会でした。