上野の東京国立博物館を使った内藤礼の個展「生まれておいで 生きておいで」に行ってきました。撮影NGだったのですが説明するとそれだけで長文で終わりになりそうなので、なるべく簡潔にいきます。

最初の展示は平成館の細長い展示室。天井から吊るされた原色の毛糸玉と透明のガラスビーズと風船と鈴。豊島美術館の《母型》を経験した人ならば不定期に落ちてくる水滴を連想します。

ガラスの向こうの展示はこの博物館所蔵の小さな土器の欠片とマケドニア産の球形の大理石。そして吊るされたガラスビーズ。気付くとガラスの向こうとこちら、まるで鏡に映っているようにガラスの両側にシンメトリカルに吊るされています。

細長い真新しい木製のベンチに座ったら、作品リストによるとこれも作品。展示室の中央にはやや大きめの、と言っても10㎝弱の透明な風船が二つ。
《Two Lives》と題されたシンメトリカルな風船から左右を見ると、多くが中央からシンメトリカルに配置されていることに気づきます。

国会議事堂とかの一目でシンメトリックとわかる建築物と異なり小さなオブジェをシンメトリックに点在させて、「気づく人だけ気づけばいい」という企み。吊るされた小さく軽いものたちは鑑賞者の移動や息遣いで微妙に揺れて、密かな生命を感じさせます。ガラスを挟んだビーズのコンビはこちらが揺れても向こうは揺れない、鏡の向こうは時間が止まった歴史で、マケドニア(ギリシャの隣)の石と縄文の土器がその小ささから大きな普遍的な存在となっていきます。

左右のガラスの中にある小さな鏡を二枚組み合わせたオブジェは《世界に秘密を送り返す》と題されています。そして細長い展示室の左右の壁には、塗装したガラスの向こうが全く見えない《窓》と、直径1㎝しかない何の役にも立たない鏡の《世界に秘密を送り返す》。向い合せにあるのに小さくて互いに遠く離れているので全く互いを映さない、それどころか覗き込んでも自分の姿さえ映さない鏡。秘密とは、送り返す先の世界とは、まるで不条理な謎解きのようです。

次の本館ラウンジでは中央に木製の台座、水で満たされたガラスの瓶。表面張力で水はこぼれませんが、微妙な緊張感があります。ただそれだけ。

これ、私は既視感を覚えました。さっきの展示室でも木の台座(ベンチ)がありました。そこに載っていたのは、そして今見ているのは先程の私? このガラス瓶のタイトルは《母型》、なんとあの胎内回帰型没入体験の豊島美術館と同じタイトルです。

シンプルに見せかけて巧みな企み、詩的な生命感と悠久の時を破片で想像させる試み。そしてこのラウンジにも四方の壁に直径1㎝の《世界に秘密を送り返す》(99)が向い合せにあります。

私がこのラウンジに5分くらいいる間、誰も見ていなかった《世界に秘密を送り返す》、これはむしろ見られない、気付かれないための仕掛けなのでは、とも思いました。これ見た人、この小さな穴=鏡からあなたが世界に送り返したい秘密は何ですか?