練馬区美術館の「三島喜美代 ― 未来への記憶」の続きです。

森美術館で見た、あの巨大な古新聞雑誌の山よりは小さいですが、実物大でなく大きく誇張されたもの。印刷された言葉の意味から離れて、量として大量消費社会を見る者に突きつけます。


座布団二枚くらいの大きさの少年漫画誌。単行本は保管されますが雑誌は読み捨てられる「ゴミ」です。電子でマンガを読む人たちはこれ見て何を感じるのかな。

これはもう、明確に「ゴミ」を意識してますね。倒壊した建物から見出された遺跡のような新聞=情報。

新聞紙に包まれたポット、全部陶です。ポットのリアルな質感、紙のクシャクシャさ、超絶技巧の極みです。

2022年作の、今回展示されている中では最新のインスタレーションです。新聞とドラム缶は陶、それ以外は実際の廃棄物をまんま使っているのもあって、見る者に作品とただの廃棄物との境界線を考えさせます。

ご存じ空き缶の入ったゴミ箱です。今はプラスティック製の回収器で中が見えなくなっていて、ゴミの量が視界から消されてしまっていますが。

次の展示室に行く途中の廊下にこんなコーナーが。実物大の陶の空き缶に触って持ちあげて重さを感じることができます。

かなり重かった。空き缶でなく中に飲料が詰まった缶より重いかも。この感触を身体に入れて、また紙を模した作品見ると感じが違いますね。


次は展示室を1つ全て使って、新聞を転写した耐火煉瓦を約1万敷き詰めた《20世紀の記憶》

凄い量だな、くらいでパッと見て次に行っちゃう人もいましたけど、一つ一つが20世紀の記憶です。これから見に行く人は一つ一つ時間かけてしっかり見てください。

関東大震災に始まって大きな災害や事故などの記事、

政治の記事にオリンピックに香港の返還など海外の記事も、

「死の灰」って、これはチェルノブイリ? 第五福竜丸の記事かな、

核/放射能関係の記事がけっこう多いですね。

ケネディ暗殺の記事に

「演説して割腹自殺」もちろん三島由紀夫です。

「山田洋次が語る」? まあ20世紀後半の日本映画を代表する人ではあるけど。

まるで1960年代のコラージュ作品に戻ったかのような意味への帰還、それも膨大な量です。電子データを保存する媒体や陶ほど脆くないので、このまま大震災が来てこの地域が埋もれてしまったら、数百年後に掘り起こされてアート作品ではなく情報の遺跡となりそうな壮大な作品です。これは時間かけて見ました。

最後は《化石になった情報88》、発掘された遺跡のようで大量の紙の束が化石化したようなものです。1988年の作で意味より質感と量の時期の作品ですが、《20世紀の記憶》を見た後だと中に込められたであろう意味に想いをはせます。