東京国立近代美術館の「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」の最終回です。

5番目のテーマが「人間の新しい形」、「分解された体」というトリオはやっぱりこれですね。

 パブロ・ピカソ《男性の頭部》
キュビスム時代のピカソ。「キュビスム展」でさんざん見ましたけど、文脈が変わると見え方も変わりますね。これは1912年の作で

 萬鉄五郎《もたれて立つ人》
これが1917年、同じ萬の《裸体美人》は《男性の頭部》と同じ1912年! 萬鉄五郎とピカソって同時代人だったのですね。夏目漱石とカフカが同時代くらいの驚きです。無節操な並べ方が気付かせてくれるものが多いですね。

 レイモン・デュシャン=ヴィヨン《大きな馬》
これは分解なのかなあ、時代としてはキュビスムの時代なんだけど、馬の力強さを抽象的に表現した、の方がしっくりくる。


 フェルナン・レジェ《パイプを持つ男性》
「機械と人間」のトリオは当然レジェです。機械イコール明るい未来みたいな価値観は古臭いけど、人物の周囲や背景がちょっと迷宮化していて、これは面白いですね。

 エル・リシツキー《石版画集『太陽の征服』》
リシツキーという名前からすると、ロシア構成主義なのかなと勝手に想像します。これも機械文明を楽天的に描いてますけど、単純にデザインとしていいです。

ここ東京国立近代美術館にはクレーとカンディンスキーがありますが、次の「プリミティヴな線」のトリオではクレー

 パウル・クレー《黄色の中の思考》
作品リストに「2021年度購入」とあるから大正時代の購入ですね。その15年後くらいだったら軍国主義だしクレーなどの絵を「退廃芸術」とけなした国と同盟組んでましたから、購入はなかったでしょうね。今回1910~20年代くらいの作品が多いのですが、描かれた年だけでなく購入年代も歴史とリンクさせて考えるのも一つの視点かも。

 カレル・アペル《村の上の動物たち》
これも「プリミティヴな線」、私は子供たちを子供のタッチで描いたのかと思ったらこのタイトル。いや子供でしょう、左上は魚かと思ったら「村の上」に魚はいないし、無邪気な絵かと思ったら謎がいっぱい。


 イヴ・クライン《青いヴィーナス》
「デフォルメされた体」というトリオのクライン・ブルー。これデフォルメなのかな、簡略化・シンボル化だと思うんだけど。

「色彩とリズム」のトリオでは抽象画

 ソニア・ドローネー《色彩のリズム》
クレーやモンドリアンと同時代くらいの作家のものかと思ったら1964年の作だそうです。うーん、その時代でこれって微妙。

 菅野聖子《フーリエ変換(プロコフィエフ束の間の幻影)》
これはいいですね、塗った面と引いた線、二つのレベルの幾何学図形が共鳴し反発し、多層的に響き合います。

「差異と反復」というトリオには東京の草間彌生もありましたけど、これが良かった。

 中西夏之《紫・むらさき XIV》
ミニマルアートだけどよく見ると一つずつ違っていて複雑です。この作者の名前は記憶あるから他にも見てると思うけど、ネットで調べても見たことある絵は見つからなかった。

最後のテーマは「越境するアート」、「日常生活とアート」のトリオで

 倉俣史朗《Miss Blanche(ミス・ブランチ)》
これを見ることができました。うれしーい! 朽ちて行くはずの花の一瞬を永遠に閉じ込めたような、哲学的でオシャレでエレガントな「見て、ひたる」椅子です。

 ジャン=リュック・ムレーヌ《For birds》
「For birds」と題されてますが中に入れない鳥かご。パンパンに張って入り口からはみ出ている風船のようなものはガラス製のようです。鳥を飼うためでなく解放するための鳥かご? 見る人によって様々な解釈ができます。


 奈良美智《In the Box》
麻布台ヒルズ、パレスチナのアート展に続き奈良美智です。「ポップとキッチュ」というトリオにこれは疑問がありますね。ここ東京近代美術館では他に2点見てますがこれは初めて、2019年の作で2020年度寄託とあるからコロナ禍の新収蔵品ということですね。かつての斜に構えて少し不貞腐れてこちらを見ているものでなく、横の方を見つめています。なぜシャツ一枚で箱に入っているのだろう、コスチュームや小道具で自己主張しなくてシンプルになった分、豊かな物語性があります。同じトリオのアールブリュット、ヘンリー・ダーガーとは真逆ですけど断然こっちの方がいいです。

単純に作品を見るのではなく3点の比較というのが新鮮で面白い展覧会でした。見終わったあと「自分ならあのトリオにはあれかな」と考える楽しみもあります。そう考えながら見た収蔵品展MOMATコレクションを次回書きます。