こ国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」の続き、4つ目のチャプターの次は上の階への階段から始まる番外編「反─幕間劇─上野公園、この矛盾に充ちた場所:上野から山谷へ、山谷から上野へ」
弓指寛治の《You are Precious to me》は大量のドローイングとメモなどから成る、それ自体一つの美術展のような展示です。

上野公園とその周囲には多数の美術館博物館があり芸大もある一方、かつてはかなり多くのホームレスがいて、最近いなくなったのは何故?ということから始まって、山谷に行って安アパートに住む日雇労働者や支援施設に住む元ホームレスなどを取材し交流し描いた絵など。


絵だけでなく、こんな手作りのものや、フィギュアのようなオモチャの展示もあり、この「反─幕間劇」だけでもかなり見応えがあります。

最後は夜の上野に戻ってきた人々、この上野公園にも

これをこの美術館で見るって感動的。

5つめのチャプターは「ここは作品たちが生きる場か?」


 クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》  竹村京《修復されたC.M.の1916 年の睡蓮》
半分以上失われたモネの睡蓮とその失われた部分をシルクで再現した作品の展示です。さっきの展示に

続いてこれって、もう感極まります。


次はエレナ・トゥタッチコワというアーティストの、この美術館の中を巡る映像と陶器と詩。

 エレナ・トゥタッチコワ《美術館の天気》 《Murmurations》
陶器はゴッホの《糸杉》でしょうか、詩も素敵です。

6つ目のチャプター「あなたたちはなぜ、過去の記憶を生き直そうとするのか?」からはまた、現代の作品と収蔵品を並べた展示です。
自分の身体を使ったパフォーマンスでジェンダーを扱った映像作品を制作する遠藤麻衣の展示(撮影NG)は、ゆっくり回る円形のソファに座って、左右の壁のムンクのリトグラフ《アルファとオメガ》と併せて映像を見ます。

ユアサエボシという画家の抽象画はサム・フランシスと並べて展示されています。

 ユアサエボシ《抽象画B》
抽象画と言うより、顕微鏡で見た細胞の写真見たいですね、2023年の作だそうで、コロナ禍からのイメージでしょうか。

次は梅津庸一らによるプロジェクト「パープルーム」


自分たちの作品の発表の場であり、様々な活動の場所の再現、本人たちの作品にビラやポスターからメモなどがあるちゃんこ鍋状態の中にピエール・ボナールやエドゥアール・ヴュイヤールの作品も混ざってます。この美術館にこれは爽快だなあ。

最後のチャプターは「未知なる布置をもとめて」

辰野登恵子という抽象画のアーティストの作品、私は全然知らなかったのですが、個人的にはけっこう好きです。そして

 辰野登恵子《WORK 89-P-13》 クロード・モネ《睡蓮》
ここできたかーっ、この美術館最大の呼び物(あくまで個人の見解)モネの《睡蓮》です。これはもう、ここしかないでしょ、という展示です。



 坂本夏子《階段》
この作家は奥行きのある、現実にはあり得ない不思議な空間を描きます。

 坂本夏子《Tiles | Signals》
この人は個展見たいですね。ポール・シニャックの点描画と展示されています。

 杉戸洋《the face》
最後は杉戸洋と梅津庸一、この二人の作品はけっこう見てるので特にコメントは書きません。

見応えあって発見があって、とてもいい展覧会でした。一つ思ったのは、デジタル技術を使った作品がないですね、布施琳太郎は字幕スーパー的なものでコンピュータ使ってたようですけど、作品制作にデジタル技術使ったものは皆無でした。まだ国立西洋美術館、頭硬いかな。