横浜方面は少しお休みして上野です。国立西洋美術館でいわゆる現代美術展は初めてだそうです。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」というタイトルで

サブタイトルが「国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」

どういう意図でこの展覧会を開いたのか全部言っちゃってます。

最初は松方コレクションの松方幸次郎氏の肖像や美術館の構想図など資料の展示があって、そこから現代アートの展示になります。

続いて杉戸洋の《easel》、杉戸洋は後で何点も展示ありますが、これだけ、たぶん建築つながりで展示されているようです。

7つのチャプターで構成されていて最初は「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」
中林忠良という主にエッチングなどの作家の展示から始まりますです。


《転移》などのシリーズと並べて

レンブラント・ファン・レインやルドンなどの「西洋」版画が展示されています。ルドンはわかるけど、他のはどうなんだろう。中林忠良はたぶん初めて見ると思いますが、位相実験みたいな作品は気に入りました。

次は抽象画家で批評家でもある松浦寿夫です。

 松浦寿夫《キプロス》
これらと並んで展示されているのは
セザンヌの《ポントワーズの橋と框》、モーリス・ドネ、エドゥアルド・ヴュイヤール。
松浦寿夫がこの辺の画家をよく見たそうですが、それだけでなく抽象画を風景の解体と再構成として見てみたら、というアプローチでもあるかな。

次は私の大好きな豊島美術館の内藤礼、作品は1点だけで

 ポール・セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》
 内藤礼《color beginning》
うーん、セザンヌと並べるって、コメントのしようがない。内藤礼だったら日本に1枚しかないこの美術館の、ハマスホイのあれだと思うんですが。

ここからは「日本に「西洋美術館」があることをどう考えるか?」
作品の展示でなく、美術とは美術館とは、について考えるコーナーになります。
小沢剛の《帰ってきたペインターF》のシリーズは藤田嗣治が、欧州で名声を得てから第二大戦で帰国して戦争画を描いて、戦犯扱いで国を追われてまでを描いた絵と動画の連作です。

私は以前ブログに書いたけど、藤田嗣治って自分で何が描きたいじゃなく、何を描けば国や世間から認められるかで描いていたような人みたいって思っていたのですが、小沢剛も似たような見解を持っているようです。ここで問われているのは西洋美術と日本社会の関わり。

次は小田原のどかという作家のプロデュースによる展示で、靴を脱いで赤絨毯に上がって見るのは日本人なら誰でも知ってるロダンの

いない・・・ その傍らに

《考える人》の横たわり版。美術館と災害ということで、震災で壊れた上野の大仏などの写真も展示されています。美術館は作品を守る場所でもあるわけです。そういえば元旦の震災では金沢21世紀美術館も被害を受て一時休館だったそうですね。台風で被害を受けたホキ美術館は再開したけど、川崎市市民ミュージアムはまだ閉館中。

3つめのチャプターは「この美術館の可視/不可視のフレームはなにか?」
布施琳太郎の《骰子美術館計画》は映像インスタレーションですが、この美術館のキューブのような形からの考察です。

国立近代美術館や東京都現代美術館、横浜トリエンナーレなどで何度も見ている、様々な形で舞台裏を見せる田中功起は《美術館のインフラストラクチャー》で、美術館の展示が子供や車いすの観客を想定しているか、託児所が必要なのでは、そもそも観客として想定している市民とは、などの問いかけと提案を行っています。内容はなるほどというアプローチばかりです。

 

次は「ここは多種の生/性の場となりうるか?」
鷹野隆大は部屋を作ってテーブルやベッドなどを配置て生活感を出し、そこに自身の作品とここのコレクションのクールベやゴッホを並べて展示しています。

 ギュスターヴ・クールベ《眠れる裸婦》
 鷹野隆大《KIKUO(1999.09.17.Lbw.#16 )「ヨコたわるラフ」シリーズより》
裸婦は美しく太った男性の裸体は醜いか、など「西洋絵画」の価値観への問いかけ。それをプライベートな場を作って見せることで、美術の問題ではなく私たち個人の問題として提示しています。

沖縄出身で主に性的マイノリティを扱うアーティストで作家のミヤギフトシは、神話の一場面を描いたテオドール・シャセリオーの《アクタイオンに驚くディアナ》からの発想で


 ミヤギフトシ《詩人『神々がいなくなったころ』より》
自身の詩を紙や鏡に書いた展示と映像。この人にしては地味ですね。


主に写真の長島有里枝は写真だけでなく編み物やドローイング《猫の習作》にピカソのエッチング。

猫好きなので猫ばっかり見てましたが、ここではケア(介護)もテーマになってたそうです。

その向かいには飯山由貴がモネの《ウォータールー橋、ロンドン》やスーティンの《心を病む女》などを配した《この島の歴史と物語と私・私たち自身─松方幸次郎コレクション》と、

紙が多数貼られた《わたしのこころもからだも、だれもなにも支配することはできない》

置いてある鉛筆で好きなメッセージや絵を紙に書いて貼ることもできます。

ここでの多様性は戦争画から《心を病む女》までの多様性と、専門家から子供まで誰でも書いて貼って参加できるというもの。敷居の高いこの美術館でこれはいいですね。

今回はここまで。