横浜トリエンナーレの続きです。絵画や版画や写真といった平面ものが多くて現代アート展らしくないなと感じていたのですが、ここから一気に増えます。

丹羽良徳のインスタレーションはどこで見たっけ? 「ウィーンで手持ちのお金がなくなるまでATMで入出金を繰り返す」とか「商品を使用せずに期限切れまで持ち歩く」など意味ないことを考えて実行し、その映像などを作品として展示するパフォーマンスアーティストです。

バカバカしいんですがアイロニーにもなっていて、特にここまで政治や経済格差など取り上げたシリアスな作品を数多く見てきているので、こういった角度からのアプローチは十分有効だと思います。
丹羽良徳の展示は別会場のBankART KAIKOにもありました。


  《宿舎》

台湾のユア・ブラザーズ・フィルムメイキング・グループはある工場で働くヴェトナム人女性たちが寮に立てこもってストライキをした、その場所をセットで再現して、中で実際に参加した女性の映像を映すなどしています。

実際にベッドに腰かけたりもできます。のどかな没入体験。これも移民や搾取など扱ってますが、面白いアプローチです。


展示室の壁上部にアフォリズムみたいな言葉があって、これについての説明が全然なかったのですが、最後の展示室でようやく明かされます。厨川白村という20世紀初頭の文学者の「象牙の塔を出て」という著作からの引用だそうです。

 

 ホァン・ボージィ《社会経済的な生産性は43年で破壊されてしますだろう。

   政府に人道的な対応を求める》
台湾の作者の母親が繊維工場の過酷な労働で身体を痛めたことから古布で作られた抗議のプラカード。
左下のモニターでは移転が決まった工場の様子が映されています。作業着を脱ぐ女性の写真などもあり、過酷な労働で痛めつけられ資本の都合で振り回される労働者の現状を複数のメディアで表現しています。


 クララ・リデン《地に伏して》 
ニューヨークの銀行前広場を一人の男が歩きます。時々倒れて、また立ち上がって歩き、また倒れ、を繰り返します。この男が象徴するのは資本の流れか金融機関か。バンクシーの正体とも言われるマッシヴ・アタックのMVが基になっているそうです。

おそらく亡くなったから急遽追加されたであろう坂本龍一の《ナム・ジュン・パイク追悼ライブ farewell,njp》の映像とそこで破壊されたヴァイオリンの展示です。

追悼ライブの映像展示で追悼ですか。坂本龍一だったらもっと今回のテーマにふさわしい展示もあったのでは?


 ダムラ・クルッチクラン《秘密と軌跡の図》
作者曰く「街のいろんな場所で見つけた痕跡、模様、兆候」を鉛筆で紙に記したドローイングです。巻いてしまっているので全部見ることができないのが残念。「あ、これはあれか」と見つける面白さもあります。


 イェンス・ハーニング《Murat》他
ポーズを取る男性の写真には着ている服のブランド名や値段が書いてあります。でもこれは広告でも雑誌やSNSに掲載されたものでもなく、それに模して移民を撮影したもの。また移民です。このアプローチもいいですね。


 ディルク・ブレックマン《汚れを残さない》
これも移民もの。ホームレスのような生活をしていた移民たちがパリオリンピックへ向けた都市の「整備」でいなくなった場所を撮影しています。オリンピックのような大規模イベントが都市にもたらすマイナス面に目を向けています。それは前大会を経験した私たちにも無関係ではないもの。


 エマニュエル・ファン・デル・オウウェラ《ビデオスカルプチャーXXVⅢ(1月6日)》
2020年のトランプ支持者による国会襲撃事件でネットに投稿された映像を集めて展示しています。映像にはノイズが入り画面に傷が付き、ケーブルはぞんざいにちらばっています、まるであの場にあったかのように。映像にあふれる時代に敢えて雑な装置で見せることで、映像(の真意を確かめた?)を見ること、見せる(投稿する)こととは、と問いかけています。

 ヨアル・ナンゴ《ものに宿る魂の収穫》
北欧の遊牧民サーミ族の血をひく作家による居住空間のインスタレーションは神奈川県内で採取した木や竹、廃材が使われているそうです。


現代に生きる私たちの社会、生活を見つめなおす視点を与えてくれます。

美術館の外壁にはヨアル・ナンゴによるサーミ文字

「彼らは決められた道を行かず、誰かが定めた秩序にも従わない」という意味。カッコイイなあ!

まだ横浜美術館以外の展示があるので、もう一回続きます。